KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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うに思います。だからほとんどの作品は、1日で仕上げています。中には、1日に3点描いた日もあります。まるで日記でも書くような気分で描いてきました。だから作品には描いた日付を記入しています。日付を追って見る人も多かったようです。僕の絵は、統一した固定の様式(スタイル)がありません。同一様式の絵を2、3枚描くと、もう飽きてしまうのです。同じスタイルの絵を描き続けるのが、一般的な画家のスタイルですが、僕にはそれができないのです。それは、頭で描くというより、その日の気分で描くので、持続した様式を展開することができないのです。これは多分に飽きっぽい性格が、そうさせるのかも知れません。つまり、飽きっぽいと同時に気が多いのです。だから、次々と異なった様式に興味が移っていくのです。神戸で始まって 神戸で終る スタイルの異変に気づいて、中には戸惑う方もいらっしゃるかもしれませんが、僕自身も、「まさか!」と思うような作品になってしまったことに、我ながら不思議だな?と思ってしまいました。「気がついたらこんな絵が描けちゃいました」と言うしかありません。自分が絵を描くのではなく、絵自らが描いたという感じです。言い方を変えれば、作者不在です。絵は自我によって描くのですが、この寒山百得に関しては、自我の存在はかなり希薄だったように思います。頭で描くというより、肉体が描くという感じです。アーティストというより、むしろアスリートに近いものを感じました。アスリートは、一種の瞬間芸みたいなところがあります。無になる瞬間によって、アスリートは凝縮した力を発揮します。今回の僕の絵も、そんな感じでできたよ昨年、本誌の10月号で、東京国立博物館で開催された『寒山百得展』についての紹介文を書いたが、先月5月25日より、横尾忠則現代美術館に、東京展で発表された作品がそのまま開催されることになりました。東京では、連日沢山の観客を集めました。特に、外国からの入場者が多かったことに、美術館も驚かれたようです。海外にも情報が流れたのか、中にはこの展覧会に合わせて日本に来たという外国の人もいたようです。中には、海外のコレクターで、購入を希望した人もいました。この展覧会は、従来の僕の作風から一変した様式に驚いた人もいたようです。ここ神戸でも、今までとは全く違うタイプの作品に触れて、「おや?」と思われる方も多いと思います。僕の作品に慣れた方は多分、そのTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修16

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