KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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Chapter 1初回となる今回はプロローグとして、フランク・ロイド・ライトの足跡をご紹介しましょう。ライトはアメリカ・ウィスコンシン州で、日本で大政奉還があった1867年に生誕。母のアンナはお腹に宿していた時から彼を建築家にすると決めていたとか。思春期は叔父の農場で働き、大自然の中で過ごします。17歳の時にウィスコンシン大学マディソン校で土木を学びますが半年ほどで中退、シカゴに移って本格的に建築家を目指し、ジョセフ・ライマン・シルスビーの事務所に勤めます。程なくアドラー&サリヴァン事務所へ移り、恩師ルイス・サリヴァンのもとで腕を磨きました。1896年に26歳で独立。ウィンズロー邸など個人宅を多く手がけ、大地と一体化するようなプレイリー・スタイルを確立してその名を知らしめます。また、日本にも興味を持ち、1905年に初来日。浮世絵のコレクターやバイヤーとしても活動し、帰国後はシカゴ美術館で広重展をプロデュースしました。平尾工務店三田モデルハウスのモデルとなったメイハウスはこの頃の作品です。ところが…1909年、施主の妻とダブル不倫の末駆け落ち。大西洋を渡ったライトはドイツの出版社から作品集を出しヨーロッパで名を売るとともに、浮世絵の売買で経済的な苦境をしのぎます。ほかにも使用人による殺人放火事件や再婚の末の不倫など、スキャンダル続きだった40~50代はアメリカでの仕事が激減。かわって帝国ホテルやヨドコウ迎賓館など日本で名建築を生み出しました。還暦を過ぎ、巨星はアメリカで再び輝きます。1932年には建築家育成学校、タリアセン・フェローシップを開校。1937年には落水荘で世界をアッと近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトを学ぶ平尾工務店がお届けする「オーガニックハウス」の基本的な理念や意匠を編み出した世界的建築家、フランク・ロイド・ライトについて、キーワードごとに綴っていきます。ライトペディアWrightpediaライトのあゆみ144

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