KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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1859年にシンガポール、その翌年に長崎へと渡って、1862年より兄が共同起業したグラバー商会に勤務していたという。しかし、1859年だとグルームはまだ13歳だし、1861年にロンドンの西のマールボロカレッジ入学したことは記録から明らかなので、この説は誤りだろう。そのマールボロカレッジの同窓名簿には、グルームは1864年夏に卒業し、その後は日本・長崎の商人になったと記されている。兄に憧れて自ら希望したのか、それとも兄に乞われてなのか動機は不明だが、どうやらグルームはマールボロカレッジを出た後に祖国を離れ、まず兄のいる長崎へやって来たと思われる。その後、開港とともに設立されるグラバー商会神戸支店のスタッフとして赴くことになったようなので、来神は1867年という見解もあるが、神戸が開港した1868年と考える方が自然だ。グルーム自身はその年の4月と回顧しているが、新聞の旅行者情報では6月6日に神戸へ入港したコスタリカ号の欄に兄弟揃って名前が載っている。ちなみにその記事には「Godai」の名もあるが、これは五代友厚のようだ。五代はグラバーと懇意だったので、船内でグルーム兄弟と杯でも傾けたことだろう。また、9月に兄とコスタリカ号で長崎から直接、あるいはグラバー商会大阪支店勤務を経て神戸へ移ったとも伝わっている。時期については諸説あるが、いずれにせよ若きグルームが降り立った時、神戸が開港間もない新天地だったことは間違いない。開港間もない長崎 イラスト/米田 明夫141

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