KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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が滝に打ち見れば川辺に咲きしたんぽぽの花」という名歌にブラッシュアップされたがそれはまどろみの夢、目覚めた西行は和歌三神が慢心を戒めたと悟ってさらなる研鑽を積んだ、という感じ。ですが…西行が有馬の鼓ヶ滝で歌を詠んだというのは眉唾。もともとこのネタは有馬温泉を舞台にした能「鼓滝」がベースにあり、そこに出てくる歌は平安時代の歌人の清原元輔や檜ひがきの垣嫗おうなが肥後、現在の熊本市の鼓ヶ滝を詠んだ歌の冒頭を「津の国の」に変えたものです。そもそも有馬のあの滝が鼓ヶ滝とよばれるようになったのは西行亡き後の室町時代で、その頃の坊さんの季きけいしんずい瓊真蘂によれば西行が詠んだのは多田、現在の川西市の鼓ヶ滝とのことです。じゃ、有馬の鼓ヶ滝で「たんぽぽの花」と詠んだのは誰?ですが、実は前回ご案内の赤松則そく祐ゆうなのでございます。1368年、西行は落語になるが、芭蕉は落語にならぬといわれております。記録がしっかりしている松尾芭蕉に比べて西行の足跡は不確かな点が多く、ゆえに想像や創作の入り込む余地があるということでしょう。そんな西行に関する古典落語は2つあり、その1つが有馬ゆかりの「西行鼓ヶ滝」でございます。この噺はもともと講談から落語になったようでして、現在も講談の方がメジャーですね。そのあらすじは…西行が諸国行脚の道すがら有馬温泉の鼓ヶ滝を訪ね、「伝え聞く鼓ヶ滝に来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花」と詠んで悦に入っているうちにあたりが暗くなり、あばら屋に泊めてもらうことに。そこでかの歌を自慢げに披露すると、その家の爺さんが鼓だから「音に聞く」、婆さんも打楽器だから「打ち見れば」、孫娘まで鼓は皮でできているから「川辺」の方がよくね?とケチをつけ、「音に聞く鼓播磨から都へ向かう途中で同行した長男の義則がバテたので有馬で休息、その間に鼓ヶ滝で宴を開いて「音にきくつゝみの瀧を来てみれば上にはちゝとたんぽぽの花」と詠んだそうで。たんぽぽは鼓の音からの連想だとか。なんだ、それじゃ西行は有馬に来ていないのか!というと、そうじゃないんです。彼の歌集『山家集』によると1160年頃、加賀大宮という女と「或あるひと人」なる男との有馬行きに西行が同行。男の代打で女へ歌を詠み、いわゆるラブレター代筆業を請け負っていたようで。なお西行は2度、奈良の大おおみねさん峰山で修行しています。有馬温泉中興の祖の仁西は大峰山麓の高原村の山伏だったそうですし、時代的にも重なっているので、もしかしたら西行と仁西の「有馬のダブル西」は吉野の奥の山道で出会っていたかもですね。有馬温泉歴史人物帖~其の拾伍~西さい  行ぎょう 1118~1190129

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