KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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加した。源平合戦のハイライトの1つ、一谷の合戦。田辺先生は平家・源氏それぞれの陣容から解説をスタート。平家側は東は生田の森=現在の生田神社に平知とももり盛、西は須磨一谷に平忠ただのり度が陣を構え、その間に十万余騎を配した。一方の源氏側は都から兵を2つのルートで送り、源範のりより頼は5万余騎を従えて西国街道で直行。かたや源義経は1万余騎の軍勢で北回りのコースを進んで篠山の南から小野、三木に至る。ここで義経は7千余騎を土肥実さねひら平に任せて塩屋を経て西側から須磨へ向かわせ、自身は3千騎ほどで鵯越から進軍し北側から平家軍の中央部へ攻撃を仕掛けたと考えられると田辺先生。ところで、その攻撃の起点である鵯越はどこなのか?自然と歴史の宝庫、神戸電鉄沿線で開催されている好評の神鉄ハイキング。4月29日は義経の史跡を訪ねる「鵯越の坂落とし」コースに多くの人が参加したが、そのスタート地点、西鈴蘭台駅前の公園では兵庫・神戸のヒストリアン、田辺眞人先生のレクチャーがおこなわれ、350名余りが参「鵯越」とはどこなのか?神鉄ハイキングでの講座と鵯越駅の解説板での解説多くのハイカーたちを前に、鵯越の坂落としについて解説する田辺先生田辺先生による解説が記された案内板が、鵯越駅新開地方面行きホームにお目見え102

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