KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
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Vol.05私は日本語が話せます~病院でのボランティア活動愛の手運動は親に育てられない子どもたちに、里親・養親を求める運動です。募金箱の設置にご協力いただける方は協会にご連絡ください。公益社団法人 家庭養護促進協会 神戸事務所神戸市中央区橘通3-4-1 神戸市総合福祉センター2FTEL.078-341-5046 https://ainote-kobe.orgE-MAIL:ainote@kjd.biglobe.ne.jpシアトル市の丘の上にあるこども病院で「ボランティアとして働かせてほしい」と話すと、責任者のスターリング夫人は「あなたの特技は何ですか?」と私に尋ねました。とっさに出た言葉は「私は日本語が話せます」でした。シアトル市のこども病院では250人ほどのボランティアが活動していましたが、日本語が話せるのは私だけでしたから「特技」となったのです。ここで私は時々病棟を回って入院しているこどもたちに日本語で名前を書いてあげると、例外なく興味津々で、とても喜ばれました。ボランティアとして入院しているこどもたちに、地域の人たちから寄付されたおもちゃを配って回るとか、レクレーションの手伝いをするとか、リネンの整理とか、いろんな事をさせていただきました。なかでも、食堂でのレジを任されたときは金銭の扱いや機械の操作に慣れないので、困惑しました。医療スタッフがメニューを見て食事を注文し、お金を受け取っておつりを渡すのですが、よくおつりを間違えました。でもレジを任されたおかげで、みんなに顔を覚えられました。なぜなら、私の前を通らなければ食事ができなかったからです。3ヶ月が経った頃、病院の理事会の席で165時間の活動に対して活動の証明書が渡されました。病院では、活動のたびに時間を記録し、一定の時間毎に証明書が発行されるのです。長い人ではなんと1万時間を超えている人が数人いました。人生の大半をこの病院でのボランティアに捧げたことになります。ある日、地元の「シアトルタイムズ紙」からインタビューを受け、新聞に写真入りで記事が掲載されると、多くのボランティアから声を掛けられました。なかには「映画にはいつ出るの?」とユーモアいっぱいに話しかける人もいました。帰国後、病院でのボランティアの経験をいろんなところで話したり、書いたりしました。今では日本でもボランティアを受け入れる病院が増えてきているようです。出会いと学びの旅から公益社団法人家庭養護促進協会事務局長橋本 明96

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