KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
51/136

(90年)で監督まで兼任して、気ままな探偵役を演じた。今は映画に出なくなったが、この閉塞した時代に風穴を開けるような怪演を観たいものだ。マフィアの殺し屋同士が恋をする『女と男の名誉』(85年)みたいな、老やくざの初恋物語をやって欲しい。御年86才と聞くが、タフガイだろうから期待したい。日誌の1月のページには″『宇宙の法則』(90年)27日土曜、舞台挨拶、有楽町スバル座”ともある。自作の封切り日だったのにそれだけしか書いていない。これは名古屋の田舎の実業家青年から監督を頼まれた作品で、ボクには似つかわしくない家族ドラマだった。実家の機織り屋を継がず、東京に出てアパレルデザイナーになった青年(故・古尾谷雅人君)が父の死を契機に実家に戻って新しい人生を始める話だ。前年の夏の猛暑の中でロケをしたが、青年の兄役に選んだ長塚京三さんとは気が合って、とても撮り甲斐のある現場だった。キャメラマンは早逝した親友の篠田昇だ。パナビジョンカメラとミニクレーンを駆使し、味わいのある画を撮ってくれた。映画は照明用ライト光で正常に感光するタングステンタイプのフィルムで撮るのが普通だが、普通を嫌う彼は「これで一度、冒険させてよ」と言い、太陽光用のデイライトフィルムで撮影した。だから、昼間でも普段の倍の光量が必要で、炬燵を囲む冬の場面では役者たちは毛糸のセーターを着た上に大量のライトに耐えながら演技したものだ。でも、篠田は昼間に目に映るものや景色の色合いをそのまま再現させるためにそのフィルムに拘ったのだ。彼の遺作の『世界の中心で愛を叫ぶ』(04年)はいまだに観る気になれないのだが。2月に『俺たちは天使じゃない』(89年)を観ている。脱獄囚役のロバート・デ・ニーロとショーン・ペンを相手に、新進気鋭の女優デミ・ムーアは戦前のアメリカ東部の田舎女らしく、脇の毛を剃らずにリアリズムを追求していて感心した。人間味に溢れた映画らしい映画だった。話は変わるが、先日、広島や長崎の被爆の実態が描かれていないと騒がれていた『オッペンハイマー』(24年)を観た。過去にテレビのドキュメンタリー番組で、ナチスドイツの核兵器開発に焦ったアメリカ政府が実行した「マンハッタン計画」の原爆製造から投下までの経緯は観ているので、他に得るものがなく退屈だった。ボクはあの科学者は戦争犯罪人の一人だと思う。映画では彼がどんな思わくで原爆を製造し、どんな気持ちで日本の街の真ん中に落とすことに賛同したのか、ちゃんと描かれていないのだ。作家の意思が見えない映画ほど退屈なものはない。今月の映画●『バットマン』(89年)※日誌文には(公開年)は記してないので本文では割愛したが。●『カッコーの巣の上で』(76年)●『宇宙の法則』(90年)※日誌文には(公開年)は記してないので本文では割愛したが。●『俺たちは天使じゃない』(89年)51

元のページ  ../index.html#51

このブックを見る