KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
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弄される。そして、四回目の自殺未遂は死の年の三月、失意の九州旅行から帰ったあとに行われる。富士正晴宛ての手紙にはこうある。「着物姿でくろさぎの如く、気狂ひをよそおった夕方、腕をメッタ切りにして、ボ(ママ)ロバリンを二百錠ものんで芝居じみた死に方をやったのですが、二昼夜、無意識の上、アニハカランヤ呼吸正常になり命をとりとめた次第」このあと、娘の行く末を案じた母親が、かかりつけ医に頼んで肺浸潤だと嘘の病名を告げ、久坂葉子を約半年、自宅療養にさせている。夏に新たな恋人と出会い、過去の不倫相手への思いも断ち切れず、苦心して書いた「華々しき瞬間」は富士正晴にも不評で、ほかに演劇集団の立ち上げや、詩の朗読会をしたりと多忙で、久坂葉子は精神的にも肉体的にも疲弊していく。そして、大晦日の夜明け前に百枚近い小説「幾度目かの最期」を三日で書き上げ、恋人にその原稿を渡したあと、バーで知人の忘年会に参加し、ひとり会場から抜け出して、午後九時四十四分、阪急六甲駅にて、飛び込み自殺を決行するのである。私が不思議に思うのは、自殺の理由が毎回変わっていることだ。一回目は手紙に死を美化するようなことを書き、二回目は「灰色の記憶」で自分は罪深いと繰り返し、三回目は姉への嫉妬で、四回目は不倫の精算の失敗、五回目は「幾度目かの最期」によれば、恋人に自分のほんとうの気持ちをわかってもらうためとなっている。あたかも死にたいという強い思いが先にあって、それを正当化するためにいろいろな理由をこしらえあげたような印象だ。そこで思い出すのは、「久坂葉子作品集・女」(六興出版)の帯に曾野綾子氏が寄せた文章である。「太宰にしてもこの久坂氏にしても、本質的にあるいは生理的に生きることの辛いという人がいて、それはその人の心がけでなおるというようなものではまったくない」生理的に生きることが辛い人などほんとうにいるのか。しかし、私は医師として、多くの患者さんを看取る中で、死を拒む気持ちはだれしも同じではないことを実感している。死に対する距離感がちがうのだ。久坂葉子も本質的に死に近しい人格だったのだろう。死に惹かれる気持ちを止めることは、はじめから難しかったのかもしれない。PROFILE久くさかべ 坂部 羊よう 1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。外科医・麻酔科医として勤務したあと、在外公館の医務官として海外赴任。同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年「廃用身」で作家デビュー。2014年小説「悪医」で第三回日本医療小説大賞受賞。近著に「寿命が尽きる2年前」「砂の宮殿」がある。「幾度目かの最期」の原稿冒頭部分49

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