KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
48/136

人が自殺する理由はいろいろだろうが、結局は、死ぬ以外に逃れられないほどの辛さが原因だろう。久坂葉子にはどんな辛さがあったのか。彼女が最初に死に言及しているのは、十六歳のときに書かれた「私」という文章だ。「今迄私は死にたい死のうと思った事は唯の一度だになかった。(略)それが、七月より八月にだんだん執着が死への憧憬に変じ、生死の間を彷徨した。苦しんだ。そして、死に(ママ)決するや否や平静になりそして快活さを取りもどしたのだ」同時期、同級生の熊野允ちかこ子さんに宛てた手紙には、「死を欲してゐる」「死に対する憧憬が深くなって来ました。美しい世界を描いているからです」「幸福な道を歩んで下さいと友達から云はれます。するとね、『それは死だ』と云ひたくなる」「現在唯如何に死すべきかばかり、頭の中にある」「苦しんで何がいゝの。どうせいつかは死ぬのぢゃないか」等、続けざまに死への傾斜が吐露される。最初の自殺未遂はこの時期に行われるが、それは允子さんからもらった薬(久坂葉子は青酸カリと思っていたが、実は風邪薬)をのもうとしたが、未然に兄・芳久氏に発見されて事なきを得る。二回目の自殺未遂は、その年の暮れで、詳細は不明だが、同級生の友好安子さん宛の手紙に「あの日、私は気を失った為命をとりとめたの」とある。三回目は翌年の十月で、友好さん宛ての手紙には「先日、私は又ふたゝび生きかへりました。二日間意識なくして眠ってをりましたが」とある。方法は睡眠薬で、このときは允子さんの母節子さんからの連絡で、危うく命拾いをしている。姉敏子さんの結婚式の直後で、兄芳久氏は「女の嫉妬の強さに驚いた」と話していた。翌年から久坂葉子はVIKINGに参加し、さらに次の年には十九歳で芥川賞候補になり、小説に忙殺されると同時に、不倫相手との恋愛に翻久坂葉子はとまらない早逝の女流作家久坂葉子・死の謎vol.10(最終回)48

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る