KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
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監督ら米スタッフらが来日し、東京で約5日間かけて撮影された。「当初は、アメリカでセットを組んで東京のシーンを撮るという話も出ていたのですが、マークやブリガムたちは〝東京で撮共演した井浦さんと藤谷さんとの関係が、まるで劇中でのケイコとヒデキとの関係そのもので、現地での二人の姿が映画のワンシーンのように浮かんでくる。日本パートのシーンは、マークること〟にとてもこだわっていました。藤谷さんの脚本も日本の文化や慣習、日本語のセリフなどに嘘のないよう徹底し、書かれていました。私も東京で撮るのなら、この場所で、こんなシーンはどうか…など、いろいろとアイデアを出させてもらいました」と語る。日本を少しでも理解し、知ってほしい―とモンタナで奮闘するヒデキの姿と、日本での撮影に積極的に意見を出していた井浦さんの姿とが重なるエピソードだ。「モンタナでの撮影現場で学んだことは多かった」と振り返る。「共演した米俳優たちは、撮影でカットがかかるたびに、『今の自分のセリフはあまり気持ちが入っていなかったと思う。もう、一回、演じさせてほしい』など積極的に意見を出します。日本人はどうしても、自分の意見を主張し過ぎてはいけないのでは…と、遠慮し、それを美徳とするような文化もあり、日本の撮影現場ではあまり見られない光景でした。で24

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