学者を一般大衆はどう見ているのでしょうか。創造的才能に対して、知性など大したことではないのです。小澤さんの音楽が人々を感動させるのは、小澤さんの霊力です。この学者は、音楽を専門としながら、芸術家小澤さんの霊力を全くわかっていない。というか、むしろ霊力の存在など気づいていないのでしょう。小澤さんを「愚かに映る」と言いながら、結局は小澤さんを評価しているのですが、その評価には説得力がないように映りました。ウィキペディア百科事典によと言いかねません。実に肉体は正直です。それ以上に正直なのは魂です。さっきの小澤さんの話に戻りましょう。小澤さんの音楽が如何に素晴らしく、多くの人々を感動させ、大きな影響を与えているか、そのことの方が重要で、大江さんに対する生半可な反応などどうでもいいことです。それを「愚かに映る」としか言えない学者は、芸術家の愚鈍さなど、ちっともわかっていないのです。芸術家はむしろ愚者であるべきです。このことが理解できないると、「愚者」は自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才とあります。本当の愚かの意味がわかって、学者が小澤さんを評したとは思えないのです。僕のいう愚者とは、いわゆる煩悩を滅した者のことです。黒住宗忠さんが生涯を通して求められた宗教的生き方は、ここでいう、煩悩を離脱した愚者そのものであったといえるのではないでしょうか。横尾忠則現代美術館美術家 横尾 忠則1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。2023年文化功労者に選ばれる。横尾忠則現代美術館(神戸市灘区)にて『横尾忠則 ワーイ!★Y字路』展、2024年5月6日(月)まで。『すみだトリフォニーホール(新日本フィルを支える会)』 1997年 国立国際美術館蔵1818
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