KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
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九三房の世界 ― 千代鶴是秀の鍛冶道具千代鶴是秀夫妻 工房前にて竹中大工道具館 邂逅 ― 時空を超えて第八回千ち代よ鶴づる是これ秀ひで(1874~1957)は、意匠と機能性から「不世出の名工」と呼ばれた道具鍛冶です。是秀は、明治17年(1884)6月4日11歳のとき、父である二代目長ちょう運うん斎さい綱つな俊としの弟、八代目石いし堂どう寿とし永ながの下に入門し、8年間を石堂家で過ごしました。祖父長運斎綱俊は米沢藩御用鍛冶、その姉の子七代目石堂運うん寿じゅ是これ一かずは幕府のお抱え鍛冶でした。是秀は、刀剣鍛冶となるべく加藤家に生まれましたが、その2年後に廃刀令が施行され、道具鍛冶の道を歩みました。千代鶴是秀は生涯で三つの工房をもちました。大正9年に宿山、現在の目黒区上目黒にあった涌わく井い商店の家作に移り、そこで晩年まで過ごします。辺りはのどかな農耕地で、すでにあった鶏小屋を自ら改造して仕事場としました。広さ9尺×3間であったことから九三房と名付けています。竹中大工道具館ではその工房を再現して展示しています。昭和14~32年までの18年間、毎週2~3日この工房に通った土田一郎氏(土田刃物店元店主)によれば、あれほどきれいな工房はほかに見たことがないそうです。塵や窪み一つなく丁寧に使い14

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