KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
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プでシーモア・ストリートを検索するとハイドパークの北東角で、ホテルやレストランなどが建ち並ぶ洒落た街のようだ。グルームの父、アーサー・フィリップ・グルームは1811年生まれ。その5歳年下の母、エマ・マーガレット・グルームは旧姓をヘスケスといい、それをグルームのミドルネームとしている。厳格な父は事務弁護士で、フリーメーソン関係の集会所に出入りしていたことからも裕福な家庭だったと推察される。母が教師であっただけでなく、ファミリーに英国王室で文学講義をおこなった人物(グルームの父という資料と兄という資料がある)もいたそうで、そのことを鑑みると知的レベルも文化度も高い家庭だったことが想像できる。絵画や音楽などにも親しみつつ、教養や感性を磨ける環境で育ったことは、家族写真からもうかがえる。地元の学校を卒業したグルーム少年は1861年8月、ロンドンから西へ約100キロのウィルトシャー(Wiltshire)にあるマールボロ・カレッジ(Marlborough College)へ進学。アーツ・アンド・クラフツ運動を主導したウイリアム・モリスや、英王室のプリンセス、キャサリン妃の出身校として知られる名門で、1843年の開校ゆえ当時は新進気鋭の学校だったことだろう。グルームはこの緑に包まれた田園地帯の学び舎に身を置いて、授業や課外活動、寄宿生活を通じ多くのことを学ぶ。もともと海外伝道を志す聖職者の子弟の育成に力を入れており、社会貢献を是としスポーツが盛んな校風は、来日後の彼の活動にも滲み出ていく。125

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