KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年5月号
101/136

■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。ところでこの雑誌を入手したことで余禄があった。わたしにとって興味深い記事がほかにも載っていたのだ。将棋が趣味のわたしには「対談 酒井邦嘉×羽生善治」の生成AIについての記事が興味深かった。さらに、ノンフィクション作家高橋秀美氏が「校正」について書いておられて、これには頭を一撃された気がした。その冒頭。 《誤植?まったくないです。聞いたこともありません。》わたしは印刷物に誤植は宿命だと思っていたのでこれには衝撃を受けた。こんなことをさらりと語っているのは、医薬品メーカーに勤務する人だった。誤植の経験は四十年間一切ないというのだ。たしかに医薬品の表示や説明書に誤植があれば《服用した人の命を奪うことになりかねないし、会社にとっても命取りになる。それゆえ担当者は文章を「神経をすり減らして厳重に点検管理する」》と」。要するに真剣度が違うのだ。さらに文章についても、 《解釈の余地を削りに削っていく。誰がどこで聞いても同じでないといけない。(略)美しく面白く伝えるなんてタブーです。非文学的というか無味乾燥、主観を排除して客観的な事実を伝えるんです。》法律の文章もそうかもしれないが、薬品ならばなおさらのこと。主観は厳禁なのだ。わたしはとてもそのような世界では生きていけない。ここ「KOBECCO」では自由に書かせてもらっているのがありがたく幸せなことだと思い知ったことだった。さて、四月二十七日のドリさんとの朗読会はどんな風になるのだろうか。わたしは「客観」を排除して「主観」ばかりを話すことになるのではないだろうか。この号が出るころには結果が出ている。(実寸タテ15㎝ × ヨコ10㎝)101

元のページ  ../index.html#101

このブックを見る