KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年4月号
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れた時からだ。シネラマ上映という今のIMAX以上に湾曲に広がった巨大な銀幕に映し出されるアルデンヌ高地の戦場スペクタクルに圧倒されたのは勿論だが、ボクが眼にしたのは「戦争」と「平和」だけで、それ以外にこの世には何も無いという「無常の世界」だった。それ以来、ボクの生きる目的は、自分の日常がどうあろうが、何の職に就くことよりも、人のありようや世界のありさまを隅々まで見つめていくことだった。その為の手段が映画だったというわけだ。小学5年だったか、『バルジ大作戦』のもっと前に、喜劇役者が大挙して出た東宝の「駅前シリーズ」の『駅前茶釜』(63年)は、大人たちに混じってボクも笑いっぱなしだった記憶がある。お伽話の「ぶんぶく茶釜」から想を得た、田舎町のお寺に伝わる茶釜を巡って本物か偽物かと町中が大騒ぎする話だ。フランキー堺や伴淳三郎、アイドル娘の中尾ミエは歌を唄い、新人のジャイアント馬場までが確か、下宿学生役で出たコメディーで、大人の私欲やいい加減さも見えて、子供なりに学ぶこともあったが、でも、それは虚構の中の世界だった。人間のありようが映っていたのは『ネバダスミス』(66年)あたりかもしれない。メモに「マック的な役者は日本にいない」とある。このスティーブ・マックィーンの西部劇は少年時代に観た一番感慨深い作品だった。一世代上の大人が観た『荒野の七人』とはボクは縁が無いが、マックは白黒テレビの『拳銃無宿』のガンマン役しか知らなかったので、初めての銀幕での印象感は格別だったのだ。これを何十年も経ってから見直したのはただの娯楽モノじゃなく、人間の我欲、罪と罰を哲学させてくれたからだ。ネバダの片田舎で慎ましく暮らす父と先住民の母が殺され、敵を討つ旅に出て流浪する息子の心情が描かれていた。マックは根っからの俳優だ。人生の孤独が笑顔の中にも滲んでいて、あのクールさは誰も敵わない。C・イーストウッドと同い歳のライバルだったが、‘80年に50歳で早逝した。少年の頃に両親と別離し、悪さをして矯正施設に入れられた。サーカス団やギャング団にも加わり、売春宿の掃除係や石油掘りもしたり…。その経験は俳優稼業にすべて生かされたようだ。ノートに、「‘74 『パピヨン』はリアリズムの極致、マックの黒い歯のメイクは見習うべき。‘67 『砲艦サンパブロ』は無我夢中の演技。日本人のマコ岩松も全身熱演」とある。  役者稼業に命を懸けた俳優たちを思い出すと切なくて胸が詰まる。今月の映画●『バルジ大作戦』(66年)●『ネバダスミス』(66年)●『パピヨン』(74年)●『砲艦サンパブロ』(67年)57

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