KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年4月号
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立高校出身でも活躍する人はたくさんいます。うちの高校は環境もよく設備が整っていました。高2の春、背番号1を付けたあたりからプロの世界を意識するようになりました」。当時、身体が細かった才木さんに対して同校監督の中尾修さんは「今のうちから勉強をしておいた方がいい」と気遣い、家庭科教員の坂元美子さん(元オリックス球団専属管理栄養士)に対しる投手へ転向した。卒業を控えた冬、地元で開催された野球教室にゲストで来ていたのが後に先輩となる能見篤史さんだった。「褒められたというか…キャッチボールを見ていただき、声をかけてもらった」と不思議な縁を口にした。『神戸市立須磨翔風高等学校』へ進学すると1年から頭角を現し2年の春にはエースとしてチームを牽引し兵庫県大会準決勝進出を果たした。「公「食」に関する指導を依頼した。「その頃から栄養学やトレーニングが好きになりました。スカウトから声がかかるようになりましたが特に希望の球団はなく、プロの世界でやれるならどこでもいいと思って練習をしていました」。プロ志望届を提出し迎えた念願だったプロ野球選手としてデビュー試合前は、いつも消化の良い「うどん」を食べています42

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