KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年4月号
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てもこの世界で十分満足しているじゃないかと、どこかでこの霊性を切り離して考えています。つまり、この世界は従来通りでうまくいっている。そこに霊ざわざ、その存在が不確かである霊性など持ち出さなくても、現状で満足しているので、無視しておいてもいいんじゃないかということになって、別にことさら霊性など必要としなく性など持ち込むと、かえって、日常一般の経験体系が逆転しかねない。いや、実際に逆になってしまうのです。実が非実になり、真が非真になって、花は紅ではなく、柳は緑ではなくなってしまうのです。普通では如何にも奇怪千万と思われることが、霊性の立場から見ると、そういうことになるのです。それは、この霊性的世界が一般の感性的、知性的世界へ割り込んでくると、われわれの今までの経験が、みんな否定するからです。霊性的世界というと、何かそのようなものがこの世界の外にあって、この世界とあの世界と、二つの世界が対立するように考えますが、事実はどちらも一つの世界のことで、二つの世界があると考えられるのは、一つの世界の人間に対する現れ方だといってよいのです。人生の不幸は、霊性的世界と感性的、分別的世界とを二つの別々の世界で相互に軋り合う世界だと考えるところから生まれるのです。人間は元々知性的にできているので、三島由紀夫と三島邸にて(1968年)1818

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