KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年4月号
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神戸一中時代の片思い日本SF界の巨匠、小松左京は作家デビューした1961年から2011年までの約半世紀にわたり、日本SF界を牽引してきた。「日本沈没」や「復活の日」など映像化された作品も多く、SFの魅力を広く世に伝えた。片や、青春期を神戸一中や京都大学などで過ごし、関西への愛着は深く、「関西新空港」や「けいはんな学研都市」の建設を提案するなど関西政財界のブレーンとしても影響を与え続けた。その陽気で豪放磊落な性格は作風からもあふれ出しているが、意外にも小松は自身の青春時代をこう振り返っている。《「青春」とははたで見るほどすばらしいものでも何でもなく、不細工で、汗くさくて、はずかしくって、何ともやりきれないものである》と。1975年に刊行された自伝的エッセー集「やぶれかぶれ青春期」(旺文社文庫)のまえがきは、小松らしくない、こんなネガティブな言葉で始まる。彼の思春期は、まさに第二次世界大戦の開戦直前から戦中、そして戦後の中で翻弄され続けたことがわかる。だが、一方で神戸一中時代に過ごした青春は、今の平和な時代と変わらない若者特有の、また、どの時代にも普遍の若者らしい夢にあふれた、豊かで輝かしい記憶に満ちている。小松の神戸一中時代の同級生の中に、後に俳優となる高島忠夫がいた。気が合った二人はジャズバンド「レッド・キャッツ」のメンバーだった。「やぶれかぶれ青春期」の中に、高島が「神戸一中時代の小松左京と私」というタイトルで興味深いエッセーを寄稿している。《…レッド・キャッツというジャズバンドね。これには小松もヴァイオリンで入っていた。私はギターでした。ま、後にドラムに変わりましたけど》この中で高島は、小松のこんな秘密もばらしている。《それから、バンドのことで想い出すのは、当時、西宮の今津というところに、美しい姉妹がいるということで、小松らと、何とかそこへもぐり込もうと計画したこともありましてね》そこで二人が考えたのが、「ただでバンド演奏するから」と理由をつけてパーティーにバンドメンバーとして参加し、二人に近づ神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊽後編小松左京未来への提言は地球規模…〝素頓狂で規格外〟のSFを開拓142

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