KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年4月号
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1967年に開通した六甲トンネルのことです。『神戸っ子』以外にも有馬のこと書いています。1965年に出版された随筆集『神戸というまち』では「ドライな神戸にこうした影のような部分があってもいい」とか「反神戸的な地域」とか神戸市街と有馬の対照性に着目しつつ、神戸電鉄がひなびているやら芦有道路が高いやらと的確に毒を吐きながら、「有馬をもっていることは、神戸にとってどれほどしあわせなことか」と有馬愛を隠さずに。湯宿に籠もって筆を執ることもあり、この稿も夏の有馬で書いたものだそうですが、「あまり快適すぎて、睡ねむくてしょうがない」なんてお茶目よねー。小説では1971年発表の短編『蟬が鳴く』の主な舞台が有馬になってございます。小説家の「私」が回顧談を聞こうと有馬の「潤泉閣」に滞在する中国の財閥家のマダム、曹夫人を訪ねると、その息子の曹そう修しゅうこう耕からこの『神戸っ子』誌は前号で通算750号だったそうで。その草創期を語る上で欠かせない神戸出身の直木賞作家と申しますと、今年生誕百年の陳舜臣さんです。随想やお店訪問のレギュラーを担い、座談会で語らい、小説を綴り、酒徒番付では横綱と八面六臂の大活躍!そんな陳さんの連載エッセイ「こうべ・ろまん」の7回目、1968年7月号に有馬が出てきます。万葉集の歌からはじまるその記事ではまさに高度経済成長下にあった温泉街を描写しており、「トンネルができて、有馬は都心に近づいた。これから変貌に速度が加わる」「古瓦が危っかしく屋根にのっかっている通りを歩いてみる。いまのうちに、という気がするからだ」などと、期待と感傷という相反する気持ちを変わりゆく有馬に抱いていたことがうかがえます。この名文は、本誌ホームページでタダでご覧いただけますよ。ちなみにトンネルとは1937年に自身が誘拐された事件があったと知らされ、それを解決した人物に顛末を教えてもらう。しかしその話は真実でなく、「私」はたまたま訪ねた有馬で本当のことを知るというストーリーで、有馬は心象風景としても利用されています。で、中国の富豪の夫人の有馬逗留というシチュエーションは、陳さんのルーツ、台湾と関係が深い蒋介石の逸話を意識しているのかも。蒋介石は1927年、有馬ホテルに実業家・宋そう嘉かじゅ樹の妻、倪げい桂けい珍ちんを訪ね、その娘の宋美び齢れいとの結婚を許されました。ちなみにこの時同行した蒋介石の秘書は、有馬に来る数日前に結婚したばかりでルンルンの陳舜しゅんこう畊。このお方と陳舜臣さんはお名前がひと文字違いですけど、血縁関係も師弟関係もなく、共通点は有馬で機嫌良く過ごしたことくらいのようです。有馬温泉歴史人物帖~其の拾参~陳ちん舜しゅん臣しん 1924~2015131

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