KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年4月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から   日野草城の妻ある日の神戸新聞「正平調」を読んでいて笑ってしまった。《地元言葉には人柄や風土がにじむ。》とあって、「但馬版」の話だ。《カニ漁の船に乗る外国人の実習生が、「何し とるだいや」「だらず(あほ)!」と言い合ってい るそう。》その様子が目に見えるようで愉快。私も妻もルーツが但馬なもので。また、その文末に俳人日野草城の名前が出てきて、たしか、この人のハガキがあったはずと調べてみた。だがそれは本人からのものではなく草城夫人からのものだった。昭和34年の消印。草城は昭和31年に54歳で亡くなっている。宛名は「のじぎく文庫内 宮崎修二朗」。その文面。《結構な御主旨 御同慶に存じます草城随筆「赤穂御崎」御掲載のこと承諾申上げました日野草城妻 晏子代筆》これは宮崎翁が著書『兵庫県文学読本』への掲載許可を求めたものへの返信だ。たしかに草城の「赤穂御崎」が載っている。その中のわたしの好きな箇所。《座敷へ通る。いきなり海だ。部屋いっぱいの海だ。雲つた月にいぶされて微茫として水天を辨ぜざる白銀の大幅だ。十七字を以て之を描写せよといふのか。茶を喫し心魂をしづめて再び水墨の大景観に対ふ。絵になりすぎてゐると嘆いたのは僕一人ではなかつた。(略)月夜の波だ。弧を描く一線は魞。ありなしの島影は小豆島。凪。こんな凪があり得るものであらうか。》いかにも俳人らしい、切れのいい文章だ。草城のこと、わたしこれまであまり知らなかったので少し調べてみた。すると、『人生の午後』という句集があり妻への献辞が添えられている。《晏子さんもしもあなたがわたしを支えてゐてくれなかったなら 私のいのちは今日まで保たれなかったでせう この貧しい著書をあなたに贈ります これが今の私に出来る精一杯の御礼なのです一九五三年七月 草城》116

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