KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年4月号
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andcarsMovie デロリアン(映画バック・トゥ・ザ・フューチャーでタイムマシーンに改造され有名)を開発したのはカーエンジニアのジョン・デロリアンである。ジョンはゼネラルモータース在籍時、名車ポンティアックGTOの開発をチーフエンジニアとして手掛けた。自動車開発に於ける手腕は誰もが認める存在だ。ジョンは車作りの夢を追掛けてゼネラルモータースから独立、南カリフォルニアで理想の車(デロリアン・DMC-12)の開発と、家族と素敵な時を過ごしていた。しかし、頻繁にパーティーを主催する派手な生活とは裏腹にデロリアン開発会社の運営は資金繰りに困窮している状況だ。その頃、近隣に引っ越してきたのはパイロットのジム・ホフマン。ホフマンは麻薬密売の輸送に加担したことでFBIに捕まるが、罪を問われない代わりに、カリフォルニアの大物密売人の逮捕のために情報提供者として協力することを約束する。そしてFBIが用意した南カリフォルニアの邸宅に家族と共に引っ越してきたのだった。ホフマンの愛車がポンティアックGTOであったことで、ジョンとホフマンは近所付き合いから友人へと信頼を深めていく。資金繰りで窮地に立たされたジョンを見てホフマンは作戦を練り、ジョンに麻薬密売に加担することで大金を得る計画を持ちかけた。FBIにとっては大物密売人を逮捕する絶好の機会であり、ホフマンもFBIとの密約を終えることが出来る。だが、友人のジョンを麻薬密売に加担した罪でFBIに売ることになる。苦しい選択であったがジョンの承諾を得て計画は実行され大物密売人は逮捕。FBIはジョンが有罪となるように裁判を進める。証人となるホフマンにも証人席でのシナリオを伝える。世間が注目する裁判は最終審議を迎えた。ホフマンはFBIが描くシナリオとは異なる証言をしたことで、ジョンは無罪となった。しかし、起訴された時点でデロリアン製造工場は差押えられ生産継続は不可能となっていた。事件のほとぼりが冷めたころ、ジョンとホフマンはカフェで待ち合わせ、ジョンは大金の入ったアタッシュケースとデロリアンの新車のキーをホフマンに渡して黙って去って行った。これは実話であり、ジョンは事件後も理想の車の製作に挑み続けるが実現されることはなかった。ホフマンは証人プログラムにより消息不明である。ジョンが夢を追い続け実現させ、僅か2年であったが生産されたデロリアン。ジョン・デロリアンの熱い思いを感じる。デロリアン・DMC-121981年~1982年の2年間、アメリカのデロリアン・モーター・カンパニーで8,975台が製造された。デザインはジウジアロー、機構面をロータスが開発、エンジンはV型6気筒2,900cc、150馬力のPRV製(プジョー、ルノー、ボルボで共同開発されたエンジン)をリアに搭載した。ボディーはメンテナンスフリーを目的としたオールステンレス製で研磨した状態のヘアライン仕様である。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアはマルチリンク、ブレーキは4輪ディスクを装備。何といっても美しいクーペスタイルとガルウィングドアが特徴。全高1,140mmの低いルーフ、重量を1,233Kgに抑えた。動力性能は特筆するものではないが、優れた空力性能と操縦性は言うまでもない。コックピットは当時ジウジアローがデザインしたロータスエスプリ、ピアッツアなどの雰囲気を持つ。9,000台足らずの生産であったが今も6,000台が現存しており、日本では150台が保有されているという。文・株式会社マースト  代表取締役社長 湊 善行映  画:『ジョン・デロリアン』2018年 アメリカ登場車両:デロリアン DMC-12DELOREAN DMC-12Clari Massimiliano@shutterstock10

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