KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年3月号
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―大川さんがパーソナルトレーニングに注目されたきっかけは?野球やバスケ、格闘技などいろいろなスポーツを経験してきた私は大学生のとき、スポーツジムには筋肉をつけるだけで科学的なトレーニング指導をする人がいないということに気付きました。私なりにリサーチをするうちに、マイケル・ジョーダンをオン・オフともに全面的サポートをしているトレーナーがいることを知り、スポーツ選手ではないマドンナが来日したときにはトレーナーを同伴していることに驚きました。当時はプロスポーツチームで現役を引退した選手がトレーニングコーチとして存在する程度で、体を鍛えるためのトレーナーがプロの職業として存在するなど考えられない時代でした。「これからはパーソナルトレーニングの時代だ!」と閃きました。―そこからパーソナルトレーナーの道を開いたのですね。まず、アメリカで勉強しました。スポーツジムでトレーナーの経験を積みながらプロスポーツ選手を担当し自信を付けましたがパーソナルトレーナーへの道は厳しく、30歳になっても芽が出なければ諦めようと決めていました。ところが28歳のとき、野茂さんとの出会いがありました。そのお陰でこの分野が世間に認識され、私自身もパーソナルトレーナーとして、2千本安打達成の栗山巧選手(埼玉西武ライオンズ)をはじめプロスポーツ界、それだけでなく芸能界からもオファーをいただけるようになりました。―野茂さんとはそれ以来の長いお付き合いなのですね。近鉄バファローズの退団すぐ後からですから30年近くになります。1995年、逆境にもめげず大リーグに挑戦する野茂さんとアメリカへ渡りオン・オフ共に二人でトレーニングを続けました。活躍して注目されるようになると新聞やテレビなどマスコミ取材で「野茂のそばでいつもウロウロしている日本人は誰だ?」と私まで注目されるようになり、野茂さんは寡黙ですごいオーラがある選手ですから記者さんたちは近づきがたいのでしょうね、代わりにおしゃべりな私のところへ話を聞きにこられたりして(笑)。野茂さんとの出会いが道を開いてくれた91

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