かしっかりした人が横にいれば、死なずにすんだかもしれません」この発言は、富士正晴の存在を知る私には意外だった。しかし、鈴木さんにはそう見えたのだろう。もう一人、意外な側面を語ってくれたのは、神戸中央合唱団の服部一也氏である。久坂葉子は十七歳から十八歳にかけてこの合唱団に所属していた。アルバムにあった合唱団関係の写真を見せると、服部氏は久坂葉子が男性の後ろに座り、斜めにこちらを見つめる写真を見て、「そう、こんな感じでした。じいっと黙ってこちらを見てるような」と言った。「あのころ川崎君は最年少で、あまり目立ちませんでした。服装も地味で、どちらかというともっちゃりした感じで、振り向くような美人やなかったです」合唱団に在籍中にも自殺未遂をしているので、そのことを聞くと、服部氏は意外そうに首を振った。「自殺未遂のことはまったく知りません。死にたいというのも聞いたことがないし、だから六甲駅で自殺したときには驚きました」VIKINGの同人にも、当時、久坂葉子を知る人が何人かいて、いろいろ語ってくれた。「僕より若いのに妙にくすんで年寄りじみててね」(福田紀一)。「朝の九時ごろ阪神ビルの前で会うたとき、どないしてんと聞くと、寝て来てんと。あんたみたいなええとこの子が、なんで喫茶店でアルバイトすんねんと聞くと、親父が小遣いくれへんもんと言うてた」(松本光明)。「一口で言って、久坂葉子は抽象的な愛、被愛ということの不可能性で、生々しくリアルな顔をしていました。思わず戦慄を覚える美貌でしたが、眼は深い悲哀と欲望に満たされていました」(井口浩)。「ビアホールでいっしょに飲んだことあるけどね、毎月なんぼか小遣いをくれて、何でも自由にさせてくれる人やったら、わたし、どんな年寄りとでも結婚すると言うとった」(富士正夫)。「いつもけったいな格好してましたよ。帽子かぶって杖ついて、西洋貴族のばあさんみたいな格好でトアロードを歩いてるんよ。オレンジ色の派手な服を着て、グラヂオラスの花束とかをあの小さな身体に抱えるようにしてるんやからそら目立ちますよ。そうかと思うたら粗末な服でコーヒー屋でバイトしたりしてね。プライドとコンプレックスの揺れ幅が大きかったんやろな。例会ではいつも隅っこでふくれっ面しとったよ」(島京子)等々。久坂葉子は相手によって見せる面を変え、水晶のように複数の面を合わせてはじめて立体となるのかもしれない。私は今も確実な像を描ききれずにいる。PROFILE久くさかべ 坂部 羊よう 1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。外科医・麻酔科医として勤務したあと、在外公館の医務官として海外赴任。同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年「廃用身」で作家デビュー。2014年小説「悪医」で第三回日本医療小説大賞受賞。近著に「寿命が尽きる2年前」「砂の宮殿」がある。神戸中央合唱団のピクニックにて45
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