KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年3月号
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清親という版画家がいますが、この人は随分沢山夜景を描いています。明治になって電燈が街に出現するや、彼は電燈を描くことで文明を描こうとしたのです。それが小林清親の夜景であります。僕にとってY字路は夜景である一方、日本のY字路は農道を原形としています。そのような前近代的な地形に対して、西洋近代を象徴する電燈文化、つまり小林清親的な夜景が僕の中で融合しました。中には昼間の明るいY字路も多数描いていますが、やはりY字路は夜景でなければならないと僕は考えています。あの暗い、人っ子一人もいない夜のY字路こそ、Y字路の思想ではないかと思うのです。Y字路は消失点が二点あります。向こうの闇の中に消えていく左右、二つの消失点があります。一般的な風景画はだいたい消失点は一点、ひとつです。それに対してY字路は二つあります。そこが他の風景画と異にしているのではないかと思っています。よく人から聞かれます。どちす。しかしこの作家は、あまりにも有名で、しかも作品の露出度が多い作家だけに、彼の作品を見たあとに僕の作品を見れば、僕がマネをしたように思われてしまいます。まあ、それはそうとして、僕のY字路の作品はほとんどが夜景です。また絵画で夜景をモチーフにした西洋絵画はあまりありません。一、二点は夜景を描いているのはあるとして、僕のように大半の風景画が夜景であるというのは珍しいと思います。しかし、明治期に小林らの道へ行けばいいのでしょうか?と。そんな時、僕は面白がって、「どちらに行っても地獄ですよ」と脅かします。Y字路はある意味で人生の岐路です。またそのように見てもらっているような気がします。われわれは常に岐路、すなわちY字路に立たされているのです。朝起き、夜寝るまでに、いくつものY字路に出くわしているのです。朝食を和食にするか、洋食にするか、どの靴を履いて出掛けるか、今日はどの道を通って駅に行くか、こんな具合に一会場風景 横尾忠則現代美術館会場風景 横尾忠則現代美術館1818

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