KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年3月号
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やむべからざる実質の美 ― 「久ひさひろ弘」広鑿(左久弘<ひだりひさひろ>)竹中大工道具館 邂逅 ― 時空を超えて第六回「久弘」(後に左久弘)は明治時代に活躍した初代・柏木梅吉から三代続き、中でも二代の柏木政太郎がつくった鑿のみは、特に建築用材のほぞ穴掘りを専門とする穴屋の間で「切れ味抜群で丈夫な鑿」として高い評価を得ていました。穴屋はもっぱら鑿と玄げんのう能(金槌)を使用して、驚異的な速さでほぞ穴を掘る技能集団です。道具へのこだわりも強く、わずか五匁もんめ(約十九g)の玄能の重さの違いも受け入れない厳しいものでした。ある名工鍛冶が注文の厳しさを窮屈に感じてか、穴屋の注文から一切手をひいてしまった後、久弘のもとに注文が多く入ることになります。他の名工とくらべて手に入れやすい価格であり、持久力、切れ味上々となれば絶大な人気となっていきます。最盛期には職人、弟子を含め十人ほどの体制で生産量も多く、研とぎ屋を自分の敷地内に住まわせるほど、裕福であったそうです。しかし「久弘」は、ただただ実用一辺倒で数をこなすだけの職人だったのでしょうか。名工の系統でない初代久弘・柏木梅吉は仕事が終ると、ある鍛冶屋14

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