KOBECCO(月刊 神戸っ子)2024年3月号
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思わず遠い昔を思い出した。この話と同じように、わたしの父も自宅で米屋を営んでいた。まだ配給制度が厳しい時代。米穀通帳を持参しなければお米が買えなかった頃。そこに近所のSさんの家の子どもが毎日のように使いにやってくる。「お米一升と麦一キロください」と、お金を握り締めて。その様子を子ども心に今も覚えている。この小説の主人公と同じだ。子ども5人を含めた7人家族が6畳一間に暮らしておられた。日本中が貧しい時代だったが、それにしてもである。お米一升は、約一、四キログラム。麦は吸水率を上げるために平らに押しつぶした押し麦である。粒の真ん中に俗に「ふんどし」と呼ぶ黒条線がある。米と比べて軽いので、嵩は同じぐらいになる。どちらも約一升というわけだ。これを混ぜて炊くと、すべてが麦に見えてしまうだろう。麦は今では健康食、美容食とされているが、あの時代は違った。後に総理大臣になる池田勇人大蔵大臣が「貧乏人は麦を食え」と言って物議をかもしたことがあるように麦は経済食だったのだ。話を出久根さんの本に戻す。巻末の解説を古本好きの編集者、南陀楼綾繁氏が書いておられる。その一部。《(略)出久根さんの店である高円寺の芳雅堂にも何度か行ってみたが、上品そうな奥さんが店番をしていてご本人には会えなかった。》ここを読んでわたしは無性に奥様の声が聞きたくなった。出久根さんに電話するといつも奥様が出られる。もう声馴染みだ。「西宮の今村です」と言うと、「あら~っ、今村さん」と明るい声だ。実は出久根さん、昨年体調を崩されていたのでそのお見舞いも兼ねて。幸い今は恢復してペンを持つことができているとのこと。ひとまず安心。そこで先ほどの南陀楼さんの文章を電話口で朗読して差し上げると、「いやあ、下町の人間ですよ~」と照れておられた。出久根さんは幼い頃、その家は大層貧しかったという。乾麺一把、麦一キロずつ買う子どもの気持ちの分かる人である。その奥様なのだ。■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。(実寸タテ8.5㎝ × ヨコ19㎝)119

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