今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から 乾麺一把、麦一キロ面白くないわけがない。読んだのは、敬愛する作家出久根達郎さんの、『出久根達郎の古本屋小説集』(2023年12月ちくま文庫刊)。その帯の文。《本と人との物語。古本屋劇場の開演!古書店主にして作家となった著者の傑作選》ということで、出久根さんの過去の作品の中から、古本屋が舞台となっている小説を選りすぐったもの。すでに読んだものも多いがわたしは大いに堪能した。中でも「そつじながら」という作品が個人的に興味深かった。これは初めて読んだ、と思う。古書店の主と顧客との往復書簡で構成されている。おそらく出久根さんの実体験をヒントにして描かれているのだろう。その中のこのページに先ず驚いた。出てくる言葉に、だ。顧客からの手紙文。《拝啓。押しつまりまして貴家には何かとご繁劇、ご憫察申しあげます。尊翰拝受しながら礼辞申さず平にお許し願います。蕪雑にとりまぎれたは表向きの弁疏、ありようはなんとお返事申し上げてよいやら、つくろうべき言葉が見つからず苦しんでおりました。(略)一夜貴信をおしいただいて感佩いたしました。》凄いですね。わたしなんぞは一生使わないと思う言葉の羅列だ。わたしのパソコンではこんな言葉はすぐには出ないだろうと思ったが、ほぼ一発で出たのには驚いた。やっぱりわたしが浅学なのだ。それにしても昔の教養人は偉いと、つくづく思い知らされる。ま、これは出久根さんの創作なのでしょう。その他の文があまりにも上手い。こんな比喩が使われている。《蒟蒻の表面を踏んでいるような足取りで表にでました。》美しい女性との思わぬ出会いのあとの上気した様子である。絶妙ではないか。そのすぐ隣のページにはこんなことが書かれていてわたしの個人的な興味をひいた。《彼は貧しい家庭の少年でした。小生の生家は精米業でかたわら食品を販売しておりました。毎日彼が使いで乾麺を一把ずつ買いにくるのです。中本の一家は米を食べたことがないのだと小生は思い込んでいました。》118
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