KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2024年2月号
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サヨナラする場面は切なくてグッときた。こんな職人技の映画はとても撮れないなと思うと悔しかった。パンフレットを読むと、監督はエディ・マーフィ主演の『ビバリーヒルズ・コップ』(85年)を撮った51年生まれの若手だ。なんだ一つ上か、なら負けてたまるかと思い直したものだ。年が明けて、ボクの『ガキ帝国・悪たれ戦争』(81年)の時に、頭をモヒカン刈りにして熱演した若い役者の大阪の実家に遊びに行って一泊させて貰った翌朝、そのお母さんから「カントクさーん、天皇さん、死なはったんですわ」と声がかかって目覚めたのを憶えている。帰りがけに、道頓堀をうろついてみると、前年からの「歌舞音曲の自粛」とやらで出歩く人も僅かで、異次元のように静かだった。ボクは戦後のサンフランシスコ講和条約発効の年の生まれで「平和」しか知らないし、昭和の「戦争」とは何だったかをもっと勉強しないと本当の映画監督にはなれないと思ったのもその日だ。そして、「歌舞音曲」という語句も気になった。歌い、舞い、奏でる。それは芸能だ。それが消えた社会とは何だろう。その日はそんなことばかり考えていた。奈良の実家に帰って、レンタルビデオ店に行くと『ラストエンペラー』(88年)があったが、もう見ていたので借りなかった。満洲国皇帝の溥儀の半生をその『1900年』の鬼才が描いたアカデミー賞モノだが、全篇、誰の台詞も英語ばかりで中国語のやり取りがなくウソらしかったからだ。借りたのは、B級コメディの『悪魔の毒々モンスター』(87年)だ。実はこのロイド・カウフマン監督には前年の来日時に、「次作の毒々は東京で撮るので安く撮る方法を教えてくれ」と相談されていながら、その代表作を見てなかったからだ。時間の無駄を承知で見てみたら、とんでもないゲテモノ。でも、逆に彼に励まされた。映画こそ自由を謳う“芸能”なんだと。天皇崩御の後、世の中もにわかに変化し始めていた。リクルート事件でその創業者が逮捕されたり、ソ連では共産党独裁が揺らぎ出し、ソ連軍がアフガニスタンから撤退したり、世界も次の時代に向かっていた。 春先に『ミシシッピー・バーニング』(89年)を観た。1964年にミシシッピ州の田舎町で公民権運動の活動家3人が殺された事件を基に、FBI捜査官と町の白人主義団体の対決を描いていた。カメラがそこにあることを意識させない画面アングルが秀逸。アメリカの昔の監督が「画面はどこからでも撮れる。何百とアングルポイントはある。でも正しいアングルは一つ」と言ったのを思い出させてくれた。ボクも自分自身の変革を望んでいたような気がする。今月の映画●『ミッドナイト・ラン』 (88年)●『悪魔の毒々モンスター』  (87年)●『ミシシッピー・バーニング』 (89年)55

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