いないのに」という嘆きに対し、彼女は持論をこう展開する。《そのお言葉がいまの私にはよくわかり、ほんとにそうだと思うが、しかしよく考えてみると私の場合、小説もエッセーも源流は同じで、滝となり川となっても、やがては読者、受け手の大海へ流れてゆく、というものかもしれない》「もったいない」と言われようと、読者に伝えたいことが彼女には山ほどあったのだ。田辺が「神戸」について綴ったエッセーについて作家の清川妙がこう解説している。《神戸の町の愉しさは、中年がいきいきして若々しくて、面白くって、若者とごっちゃになって楽しむことだ、と書かれているが、それはそのまま田辺さんの像だ》神戸の町と田辺は似ている…と清川は言う。この説は神戸っ子にとって大きな誇りである。=終わり。次回はSFの巨匠、小松左京。(戸津井康之)庫)の中に神戸について綴られた興味深いエッセーがある。タイトルは、ずばり「神戸」。《現今の神戸はポートピアで躁状態であるから猫も杓子も浮かれているが、だいたいこの町では女性的発想が多くて、女の発言権が強いように思う。そのへんが大阪の古さとはちがうし、京都の因襲の強さともちがう》神戸と大阪、京都との違いを論じる田辺独自の「三都論」が独特でユニークだ。彼女がこのエッセーを書いた昭和57年頃。《遊び好きパーティー好き、新しもの好き、好奇心満々、とくれば、これこそ女性の本来の体質にぴったり一致しているではないか。神戸はファッション都市宣言をしていて、いまに日本どころか世界のモードは神戸がリードするという壮大な夢をもっている》田辺がこう予想してから約40年が過ぎたが、現在の神戸人の気質はどう変わっただろうか。あるいは変わっていないか?大阪生まれの彼女が神戸で暮らし、女性が生きがいを感じる街としてのエネルギーを実感し、神戸に未来への希望を託していたことも、このエッセー集から伝わってくる。 《…人口一人当りの喫茶店数は日本一、という統計があるそうであるが、おしゃべりして一服するのが好き、という、これまたオンナオンナした町であり、いかにも女たちの喝采を博しそうな色合にみちている。新井満さんは「日本のウエストコーストや」といわれたが、閉塞状況の日本の中で、神戸だけはフタがとんでしまい、底が抜けたような開放感を与えられる》作家の新井満が、神戸を米西海岸のウエストコースに例えていたのも面白い。この〝日本のウエストコースト・神戸〟に田辺はこんな期待を込めている。《…女がノビノビと生きられそうなイメージがあるからである。神戸はこれからいよいよ発展しそうだと思う所以である》と。田辺は好んでエッセーを書いていた。ある老作家の「エッセーを書く小説家の気がしれない。大切なものを小説以外の場でどんどん流出させるのはもった147
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