KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2024年1月号
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夢幻物語』(89年)の一話を、竹中直人の主演で撮ったのが縁で、その何ヵ月か後に、テレビ深夜番組の「新NY者(ニューヨーカー)」にも、また彼をゲストで呼んでニューヨークに行った時は愉しかった。彼が若き日に恋した女性が暮らす家を探しに来たという内容で、ボクがディレクターだった。でも、街を訪ねるだけではもの足りないし、立ち寄る先々で彼に即興で一人コントをしてもらうことにして、夕暮れのハドソン川の上空を渡るロープウェイの中ではヒッピー1980年代は、30代のボクにはあっという間の時代だった。映像を撮る仕事を次から次と夢中にこなしていたからだと思う。そして、それは希望と不安でうわつく現実が疎ましくて、ひたすらに虚構の世界に浸っていたかったからだと思う。映像と戯れる非日常だけが、ボクには至福の時だった。これは、高校3年の夏休みに仲間と8ミリを回した時から感じてきたことだが。88年、ある映像会社の依頼でオムニバス映画『危ない話―姿でギターを抱えて岡林信康の「山谷ブルース」を歌ったりと、彼の一人芸にはスタッフも大笑いだった。俳優の虚実が交互に見えるドキュメンタリーは撮っていて面白かった。竹中さんが出演する一本目を一日で収録し終え、二本目はボク自らが出演するので早速、準備を始めた。ボクがやってみたかったのはロバート・デ・ニーロの傑作『タクシードライバー』(76年)の衝撃のラストシーンを真似て、16ミリフィルムで撮って再現することだ。そして、それを撮る井筒 和幸映画を かんがえるvol.34PROFILE井筒 和幸1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。50

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