言で云いあらわせてよ。死にたいから死ぬの。何故って?理屈づけられないわ。生理的よ。衝動的よ」と言ったあと、睡眠薬で自殺を図る。しかし、このときは、幸い未亡人の機転で未遂に終わる。そして、エピローグでは死なないでいる自分についてこう書く。「鮮明に今の私に過去の私が連結したならば、私は容易に死ぬことが可能であるように解釈していたのだ。運命的な死期が近よって来て、いきなり又急回転して遠ざかってしまったのに違いない」「灰色の記憶」はVIKINGの26号と27号に分けて掲載された。26号の例会記によると、「生活意欲の強力さだ」とか「今までで一番いい」などの評価もあるものの、「こんな作品を書く必然勢(ママ)ありや」「苦心したあと見えない」「女性芸術の限界が見えた感じ」などの酷評が続き、小島輝正が「このままでは作文が上手というだけに終わらないかと心配」と発言している。これが先に引用した「綴り方教室」発言で、久坂葉子はよほど傷ついたらしく、27号例会で、改めて小島に、「この前綴り方教室や云われましたけどそれはどういういみでしょうか?」と問い質している。しかし、小島はこのとき例会記の記録者であったため、「記録することと考え、話すことは全く異質な行為である」として、答えから逃げている。小島にかぎらず、当時、三十代の大学教師や医者が多かった同人たちは、十九歳の久坂葉子を軽く扱う雰囲気が濃厚だった。富士正晴だけは一貫して擁護的だったが、久坂葉子は例会での不評に失望し、この号でVIKINGの同人をいったんやめている。「灰色の記憶」が例会で不評だった理由は、彼女が上流階級の暮らしをあまりに無防備に書いたことへの反発と、作者が「死にたい」と繰り返し書きながら、未だ死なずにいることへの根本的な疑問ではなかったか。死ぬ死ぬと言いながら死なないのは、甘ったれた人騒がせといわれても仕方がない。それがVIKING同人たちのある意味、意地の悪い批評につながったのではないか。しかし、彼女の「死にたい」という衝動は、ただの甘えではなかったことが、一年八ヵ⽉後に証明されることになる。PROFILE久坂部 羊 (くさかべ よう)1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。外科医・麻酔科医として勤務したあと、在外公館の医務官として海外赴任。同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年「廃用身」で作家デビュー。2014年小説「悪医」で第三回日本医療小説大賞受賞。近著に「寿命が尽きる2年前」「砂の宮殿」がある。VIKING12号例会後列右より庄野潤三、島尾敏雄、四人おいて久坂葉子、中央に富士正晴49
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