KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2024年1月号
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「ドミノのお告げ」で芥川賞候補になったあと、久坂葉子が渾身の力を込めて書き上げたのが、原稿用紙約百九十枚の大作、「灰色の記憶」だった。連載の第三回でも紹介した通り、この作品は久坂葉子が自らの来歴を回想する形で書いたものだが、「久坂葉子の誕生と死亡」には自作について、こう記している。「自分の今までふんで来た道程を、忠実に文章に表現しようとするよりも、一人の女性の、幼年期から少女期から、成長していく様を描こうとしたのであった。富士氏からは、よい作品だと云われたが、V会では、綴り方教室だとやっつけられた」本人は女性の成長を描いたつもりだったが、この作品には死に惹かれる彼女の心情や、死に対する親近感が随所に表れている。プロローグにもいきなり、「私は、死という文字が私の頭にひらめいたのを見逃さなかった」とあるし、戦争中に空襲にさらされたとき感じたのも、恐怖ではなく「唯、私が死ぬ、私は死ぬ、という三四年前よりもっと具体的な、死に対する衝動であった」とある。戦争が終わったあとも、虚無の思いからこう書く。「私は何か欲しいものはないかと考えた。何もなかった。夕ぐれ、私は絶望と混迷と疲労とで家にかえった。その日から、私は死にたいという衝動的な欲望が連続して頭の中をからまわりした」このあと、久坂葉子は十代半ばにして最初の自殺を試みる。失敗したあとも、「私はやはり死に度いと思っていた」と書き、自分を忙殺することで死の衝動を忘れるべく、羅紗問屋に給仕として働きだすが、姉が金持ちの青年紳士と結婚したのを機に、「衝動的に、私は死への誘惑を感じ」、親しくしていた未亡人に、「おばさん、私は又死にたくなっちゃった。何もかもいや。(略)死んじまう。さっぱりするわ」と告げ、さらに「死ぬ動機だって一久坂葉子はとまらない早逝の女流作家イジワルな海賊たちvol.648

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