KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2024年1月号
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るものでしょうか。僕は生まれて間もない頃から、絵を描くことに興味を持ちました。老夫婦の元には子どもがなかったので、そこに貰われた僕はひとりっ子として育てられました。そのひとりっ子の僕は、なぜか絵に興味を持ち始めたのです。その理由は僕にも誰にもわかりません。わからないまま絵を描く子どもとして成長していきました。絵を描くということが、僕にとっての最初の運命だったのです。僕は何の疑問もなく、運命に従って絵を描いてきました。別に絵を描くことに逆らってもよかったのですが、僕の運命はそれを受け入れました。運命とは受け入れるか逆らうかの二者択一を迫ってきます。神戸で始まって 神戸で終る ㊸家の老夫婦の家庭に移され、そこで育てられたのです。宿命論的には、そうならざるを得なかったのです。滅多にあることではないのですが、そんな宿命の元に生まれてきたのですから、そうせざるを得なかったのです。なぜそうなったのか、僕にはわかりません。養子に入った横尾家の老夫婦は、そのまま僕の両親としてというか、その両親の元で生まれたと思っていました。何の疑問も不思議もありません。ところが、その後の僕の人生の根元には、この宿命的な事情が終始つきまとっていたのです。物心がつくと同時に様々なできごとが僕に降りかかってきました。それを運命と呼びます。運命とは?一体如何な人間には宿命という、生まれながらに、その環境から逃れようとしても逃れることのできない、生まれつきの決定的な星のめぐりあわせというか、構造上そうならざるを得ないことがある。一切の現象はそうなるように予定されていて、思う通りに変えることができない。僕はそんな事情の元に生まれてきたと思います。どういうことかといいますと、僕は生まれて間もなく、実の両親から離されて、横尾家に養子となって貰われてきました。僕がそうしたくなったわけではなく、僕の意志はどこにも存在していません。如何なる理由があって、実の親から切り離されたのか、全く知らないままに、育ての親になる横尾Tadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ1818

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