わゆる〈異人館〉山なのであった。運命の偶然で、そのあたりと出会い、この小説を書く契機となったのを、嬉しく思っている》この小説が収録された「田辺聖子全集 第十二巻」が発刊されたのは2005年1月。《いま、あのあたり、ある家は廃屋となり、ある家は日本人の所有となって建て替えられ、様子は変ったと聞くけれど、神戸を去ってからは行っていないので知らない。しかし〈異人館〉の匂いはこの物語のなかに、著しるくとどめられた気がして、それも、私をして、この物語に愛着せしめる一因である》と。神戸への思いがあふれる一文である。1967年、義父の死去後、諏訪山の洋館を出た田辺は神戸市兵庫区で夫の家族と同居を始める。新居での生活もこれも〝まるでドラマ〟のよう。総勢十一人の大家族だった。=続く(戸津井康之)みて」と、さえずり合って、どこのことをいっているのかと思えば、私の家と、隣家を指しているのだった。彼女たちは細い私道へはいりこんで来て、珍しげに覗きまわっていた。旅行者のようだった》当時、田辺が暮らしていた神戸の諏訪山の一帯には、まだ、いくつも異人館が残っていたことが、小説の中で描かれている。この小説を田辺自ら執筆した解説が面白い。《るみ子らの住むという設定の古い洋館は、神戸に住んでいた時代、現実に夫が買ったドイツ人の洋館であった。右隣は中国人ご一家、道の下の曲り角は、右にフランス人の邸宅、左にオランダ人(と聞く洋館)と、国連みたいなひと山であった》一方、小説の中では、るみ子たちが遭遇する、こんな物騒なエピソードも…。《二階にいた私が、何げなく下りてみると若い男が台所のまん中にいた。私はとっさに泥棒だ、と直感したが、もしかして、訪問客だったらいけないと思い、微笑を浮かべようかどうしようか、そう迷っているうち、顔は不随意筋のように、ニヤッとゆがんで笑っていた。若い男はきょろきょろした。そのとき、庭に通じるフランス窓から洋が、これも何げなくはいってくるなり、「誰や! こらッ!」と大声でどなった》この関西弁でどなる洋は、川野がモデルだ。実際に田辺が暮らす神戸の洋館は、空き巣被害に遭い、そのときの経験を基に描かれた描写だという。神戸との運命の出会いこんな優雅な生活を送っていた田辺夫婦だったが、この空き巣事件を機に、「カモカのおっちゃんが嫌がりだした」ために洋館を手放している。田辺の解説はこう続く。《坂から見える海、六甲の緑の山々。私は『お目にかかれて……』の舞台を、阪神間に設定したけれども、私の、ようく知っているのは、神戸市の山地の、い143
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