KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年12月号
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災害に屈せず《我が愛する神戸のまちが、潰滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかで最も衝撃的であった》日本文学史上初めて〝ミステリー作家三冠王〟を獲得した神戸生まれの陳舜臣は、2003年に発表した自伝「神戸 わがふるさと」(講談社)の中で、自身の人生を、こう振り返っている。神戸で生まれ育った舜臣は、14歳のときに一度目の災害に遭遇した。1938年7月3日から5日にかけて発生した集中豪雨による阪神大水害だ。《神戸は泥のまちとなった》と彼は表現した。この大水害で死者、行方不明者の数は約700人に達し、被災家屋は約15万戸にのぼった。実に神戸市の全家屋の約7割が被災したといわれている。二度目は、第二次世界大戦下。米軍による神戸大空襲だ。1945年3月17日と5月11日と6月5日。神戸市街地を狙った無差別焼夷弾攻撃による空襲は苛烈さを極めた。この空襲で死者数は7500人を超え、総被災者数は53万人以上。神戸市全土が焼け野原と化した。《文字通り神戸は灰かいじん燼に帰した。三月の空襲で十年あまり住んだ海岸通の我が家は焼失したのである》このとき舜臣は21歳。思い出の自宅が灰と消えた。そして三度目…。《最後は地震である。私は一九九四年八月、宝塚で講演中に脳内出血で倒れ、五カ月入院していた。退院して四日目に地震に遭った。多くの人に援たすけられ、私は慟哭の世紀を行き抜いている》「神戸 わがふるさと」の中の「神戸よ」で詳しく、このときの様子が明かされている。約5カ月間の入院生活を送った彼は、翌1995年1月13日に、ようやく退院し、杖神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊹後編陳舜臣三度体験した悲劇…その度に誓った神戸の再起130

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