二作、『入梅』を、島尾氏のところへ持って行き、それがVIKINGにのったのだ」「港街風景」は、「久坂葉子研究」のVOL.2に掲載されている。冬の夜、神戸港近くの喫茶店で、マダムを務める往年の舞台女優が、客である主人公に過去の恋人の純粋な思いを語るという内容で、店にいた過去の恋人はそのまま海に飛び込み、船のスクリューに巻き込まれて死亡する。文章に勢いはあるが、いかにも作り物めいていて、セリフも古くさく、島尾が「アカン」としたのもうなずける出来である。ところが、一週間後に持っていったという「入梅」は、同じ作者とは思えないほど見事な出来映えで、まさに奇跡の秀作というにふさわしい作品だった。主人公の「わたし」は小さな子どもを持つ戦争未亡人で、土地や邸宅を売り払い、爺やの作衛と暮らしている。娘時分に習い覚えた絵更紗の制作で収入を得ているが、その手伝いのため若い姐のはるを雇い入れたことから、物語が動き出す。はるが作衛の亡き愛妻と同じ名前で、同じく脚が不自由なことから、作衛がはるに近づき、親密な関係になる。「わたし」は二人の接近が許せず、はるに縁談が来たのを機にはるを解雇する。作衛は挨拶もなく立ち去ったはるに激怒し、彼女の夫に自分との関係を暴露して、はるを離縁に追い込む。はるは作衛との復縁を拒み、「わたし」は不憫に思いながらも作衛を解雇し、幼い息子との生活をはじめる。冒頭の「わたし」が竹棒で毛虫を突き殺し、さらに紙くずと一緒に焼いて二重に殺しながら亡き夫を思い出す場面や、素朴で実直ながら、愛妻を失った孤独から若い姐に思いを寄せる作衛、逆に縁談を契機に作衛との関係をあっさり裁ち切り、また離縁されてもさばさばしているドライなはるなどが、実に闊達に描写される。驚くのは、雇い主として使用人の色恋沙汰に不快感を抱きながら、厳しく監督するのは嫉妬の気持ちからではないかと自省する「わたし」の穿った心理描写だ。当時、十八歳の久坂葉子に、なぜこのような年長の女性の内面が描けたのか。「入梅」は「VIKING」10号に掲載され、例会での合評で富士正晴は、「こいつは来々年の芥川賞候補になるであろう」とつぶやいたという。さもありなんだが、この予言は一部はずれる。久坂葉子が芥川賞の候補になったのは、翌年だったからである。PROFILE久坂部 羊 (くさかべ よう)1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。外科医・麻酔科医として勤務したあと、在外公館の医務官として海外赴任。同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年「廃用身」で作家デビュー。2014年小説「悪医」で第三回日本医療小説大賞受賞。近著に「寿命が尽きる2年前」「砂の宮殿」がある。小説「入梅」が掲載されたVIKING10号49
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