KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年10月号
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戦後、浜芦屋の西隣の平田町に屋敷があった稲畑家に嫁ぎ、その広大な敷地の一角に高浜虚子文学館を開館した。また、伊作は同郷の作歌、佐藤春夫とも親しかったが、彼が妻を譲り受けた谷崎潤一郎も関東大震災で芦屋や東灘に住まい『細雪』などの名作を遺した。芦屋市谷崎潤一郎記念館は浜芦屋の南東の伊勢町にある。芦屋川を挟んで日本近代文学を代表する2人の巨匠のミュージアムがあり、伊作ゆかりの浜芦屋がその間にあるというのも偶然ながら不思議な因果。そして、芦屋から世界へ羽ばたいた芸術集団「GUTAI」を忘れてはいけない。創設者・吉原治良は、1925年に公光町に転居、独学で絵を学んだが、そのことでむしろ関西の画壇の影響を受けず、会派にとらわれない自由な作風と活動を手に入れた。当初は具象的な作品を手がけ、海の風景などを描いていたが、藤田嗣治に個性のなさを指摘されたこともひとつの契機となって1932年に抽象画へ転向、以降は観念的な世界に重きを置く前衛的な路線をいく。1934年には九室会を立ち上げて先進的な美術活動を進めていくが、戦争の影響で消滅。しかし戦後、その精神を受け継ぐ具体美術協会を結成し、メンバーの嶋本昭三や白髪一雄らの活躍もあって、今や具体は世界の「GUTAI」として高い評価を得ており、昭和30年代に芦屋公園で開催された野外具体美術展は伝説として語られている。治良は具体のみならず、芦屋の芸術シーンのトップとして、芦屋で画塾を開催したり、芦屋に洋裁学校を構えたファッションデザイナー、田中千代のショーの舞台装置を手がけたりした(田中千代は20代の頃に西村伊作の文化学院に通っていた)。吉原治良らの「GUTAI」が世界に羽ばたいたその土台には、阪神間モダニズムの時代の浜芦屋界隈の恵まれた環境や文化的な土壌があったことは間違いない。その側面でも、浜芦屋は誠に得難い価値を秘めている。〈参考文献〉『兵庫縣武庫郡精道村土地寶典』大日本帝國市町村地圖刊行會編 大日本帝國市町村地圖刊行會『武庫郡誌』武庫郡教育會編 中央印刷株式会社出版部『芦屋市史』魚澄惣五郎編 芦屋市教育委員会『新修 芦屋市史』芦屋市編 芦屋市役所『あしや子ども風土記6芦屋の地名をさぐる』芦屋市文化振興財団『あしや子ども風土記7写真で見る芦屋今むかし』芦屋ミュージアムマネジメント編 芦屋市立美術博物館『精道村のあゆみ︱郊外住宅地・芦屋の幕開け︱』芦屋市教育委員会社会教育部生涯学習課『近代芦屋の歴史』藤井康憲編 芦屋市立美術博物館『芦屋の歴史と文化財』芦屋市立美術博物館『遺跡と出土品が語る芦屋の古代』芦屋市立美術博物館『歴史企画展 諸国巡り︱江戸時代の旅人︱』芦屋市立美術博物館『歴史企画展 のる・とる・あそぶ︱芦屋の鉄道・JR線の巻︱』芦屋市立美術博物館『夭折の音楽家 貴志康一の世界展リーフレット』芦屋市美術博物館『モダン芦屋クロニクル展パンフレット』大槻晃実編 芦屋市立美術博物館『阪神間モダニズム : 六甲山麓に花開いた文化, 明治末期︱昭和15年の軌跡』「阪神間モダニズム」展実行委員会編著 淡交社『攝津名所圖會 第二巻』秋里籬島著 臨川書店『日本図誌大系 近畿Ⅰ』山口恵一郎編 朝倉書店『芦屋学へのアプローチ』兵庫県立芦屋高等学校・自主研究グループ『阪神沿線 まちと文化の110年』阪神沿線の文化110年展実行委員会編 神戸新聞総合出版センター『西宮市史』魚澄惣五郎編 西宮市役所『角川日本地名大辞典28兵庫県』角川日本地名大辞典編纂委員会編 角川書店『プリンシプルのない日本』白洲次郎 新潮社『レジェンド 伝説の男 白洲次郎』北康利 朝日新聞出版『風の男 白洲次郎』青柳恵介 新潮社『白洲正子自伝』白洲正子 新潮社『きれいな風貌 西村伊作伝』黒川創 新潮社「『伊勢物語』と『仁勢物語』~芦屋の記述を中心に」長井るり子 『芦屋学研究紀要 芦屋の風』Vol.1芦屋学研究会「白洲次郎とスポーツ~彼は、なぜサッカーをやめたのか~」高木應光 『芦屋学研究紀要 芦屋の風』Vol.1芦屋学研究会「与謝野晶子歌帖「泉の壷」の背景︱歌集『火の鳥』所収歌との関係︱」宮本正章 『同志社国文学』41 同志社大国文学会「晶子に指示した安喜子~同時代の歌人たち~」中島洋一 『時計台』72 関西学院大学図書館講演「住宅都市芦屋かいわいの近代」竹村忠洋白洲屋敷案内板 伊丹市甲南高等学校・中学校ホームページ『月刊神戸っ子』2007年3月号、2015年1月号、2018年11月号 ほか99

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