KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年10月号
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1889年、町村制施行により芦屋村・打出村・三条村・津知村が合併し精道村が成立、芦屋村の枝郷だった浜芦屋もその一部となった。1905年、阪神電気軌道(現在の阪神電鉄)本線が開業し、芦屋駅ができた。日本初のインターアーバンの停車駅を得たことにより、そこから徒歩圏の浜芦屋は一転して大阪・神戸という二大都市の通勤圏になる。また、芦屋駅の近くには商店街が生まれ、生活面でもより便利になっていった。さらにその後、明治初期から芦屋を走っていながら停車しなかった官営鉄道(後の国鉄・現在のJR)にも、請願によりようやく1913年に芦屋駅が設置され、1920年には阪神急行(現在の阪急電鉄)、1927年には阪神国道電軌(1974年廃止)が営業を開始し、精道村では鉄道交通が発達していく。浜芦屋では松の美林が広がり、ここでは珍味とされるキノコ、松露もよく採れたという。1900年頃の地形図ではここに林区所の記号が確認できるが、松林の管理をしていたのだろうか。精道村では阪神芦屋駅の開業に呼応するように、この松を生かして1907年に芦屋遊園地を開園。当時は園内に飲食店や遊具も設置し、行楽客も押し寄せ、白砂青松の芦屋のイメージを醸成した。さらに1915年より芦屋川改修がおこなわれ、河岸に堅固な擁壁を設けて流路を固定するとともに、両岸に造成地を設けた。これにともない左岸では芦屋遊園地を再整備、造成地も生かしつつ芦屋公園へとリニューアル。右岸の平田町の造成地は大邸宅用地となり、平田町と浜芦屋を繋ぐ鵺塚橋も1917年に架橋された。そしてもともと名勝地、漢からひとのはま人浜として知られていた芦屋の浜も、海水沿客や潮干狩りなどレジャーの地としても活用されるようになっていく。都会へのアクセスが良く、芦屋川改修により土地の安全性も増し、精道村によるインフラ整備もおこなわれ、さらに行楽の地でもある浜芦屋に、いつしか大阪の富裕層の別荘が建つようになり、程なく滞在から定住へ昔の芦屋公園。大正末。提供/芦屋市教育委員会昔の芦屋川。大正末。提供/芦屋市教育委員会90

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