KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年10月号
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何より、こんな過酷なロケ地で何か月かけて、どうやって撮ったんだと思わせる場面に圧倒された。いきなり、密林の川を十字架の木に括られた若い宣教師がインディオらに見守られながら流れてきて、その先の滝へ流れ落ちるまでワンカットで見せるので驚いてると、前の席の中年客が背中ごと振り向いて、「WHY?」と声をかけてきたので、また吃驚した。親友が「NO!」と答えると、回りの客も笑っていた。夢と欲望と虚栄のブロードウェイの真ん中で、人間の受難や慈愛を教えられるとは思わなかった。CM撮影はモノを如何に良く見せるかだ。映画のリアリズムとは違う。宣伝担当者は「母親が子供に買ってあげる気になるように頼みます」となかなか難しい注文を出すので、茶の間で思わず目がいく画面にするからというのが精一杯だった。CMやPRの映像はモノやコトをどう印象付けるかだ。映画は人の心をどう見せるかだ。「映像屋と映画屋はそこが違うわ」と、ハドソン川の見えるカフェで親友と語り合ったものだ。スタジオから近いニューヨーク大学の辺りを散策していたら、さすがに地元、『真夜中のカーボーイ』(69年)や『タクシードライバー』(76年)のオリジナルポスターを飾った映画館も見つけて心が弾んだ。まさか上映してないだろうと思ったら、スクリーニング中で感動した。切符売り場の人に訊くと「もう十年、やってるよ、お客が来る限りずっとやるよ」と笑った。映画ってこういうものだなと一人で納得した。グリニッジヴィレッジの名画館で、昔に観たトニー・リチャードソン監督の傑作、教護院に入れられた不良青年がマラソンに自分を賭ける『長距離ランナーの孤独』(64年)と、ジョディ・フォスターやロブ・ロウが出た新作の『ホテル・ニューハンプシャー」(86年)が二本立てでかかっていた。この新作は帰国して探してみようと思った。前年の夏に封切られたが、自作の評判が悪かったので外出する気も失せて見逃していたのだ。それは変人奇人揃いの大家族の波乱万丈の流浪ドラマだ。長女が「絶望こそ力よ」と弟に言う。この台詞が忘れられず、ボクを何度も励ましてくれた。CM撮影は、和食店からカツ丼や親子丼やカレーライスを出前で運んでもらって徹夜で撮り上げ、ニューヨークの非組合員のクルー達と共に、夜明けにビールで乾杯して終った。スタッフの黒人青年はカレッジの映画科の学生で、「勉強になった。一番勉強になったのはディレクター(ボク)に、親子丼の名前の意味を教わったこと。平和の味です」と言うので、日本人クルーが感心していた。親子丼をしみじみと食べる黒人か。なかなかいい場面だなと思った。今月の映画『ミッション』(1987年)『長距離ランナーの孤独』(1964年)『ホテル・ニューハンプシャー」(1986年)53

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