KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年10月号
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るため」と語る。きっかけとなったその舞台「真情―」は作・清水、演出・蜷川だったのだ。だが在学中、「TBSのプロデューサーからドラマに出演してと依頼され…」。呼ばれるままに1973年、人気俳優、加藤剛主演の「わが愛」で俳優デビューを果たす。そして翌1974年、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」で、ヒロインが憧れる青年を演じ、その顔と名は全国で知られるようになる。「想像もしていませんでした。だって私はずっと演出家志望で、俳優を志したことはなかったのですから」と堀内さんは苦笑する。「鳩子の海」などで誠実な好青年を演じ、日本中の女性ファンを虜にし、すっかり二枚目役としてのイメージが定着したとき。「石坂浩二の二枚目路線の後を継ぐ座にあなたを据えたい…」。そう提案するプロデューサーや演出家らがいや殺される役など…。私は善人や二枚目役よりも、悪人や曲者を演じる方が興味が惹かれるし面白いし好きなんです」突然の俳優デビュー堀内さんは1950年、東京で生まれた。父は映画監督の堀内甲さん。叔父はモダンバレエの日本の祖と呼ばれた堀内完さん。「父は黒澤明監督の助監督をしたり、その後、新藤兼人監督が創設した近代映画協会へ移り、映画を撮っていました。だから自然と父の影響を受けています。でも私は俳優志望ではなかったんですよ」転機は1969年。東京で上演されていた舞台「真情あふるる軽薄さ」を観劇し、大きな衝撃を受ける。このとき、「舞台演出家になりたい」と決意し、桐朋学園芸術短期大学へ進学。「憧れの千田是也、清水邦夫、蜷川幸雄。大学で彼らに師事すのではなく、ずっと神戸で暮らしてきました。俳優の仕事は神戸から通っているんですよ。もちろんこれからも…。神戸に骨を埋める覚悟です」と語る。神戸へ来たのは知人の勧めで神戸市内で薬局の経営を始めるためだった。「俳優兼薬局経営者ですね?」と問うと「いえいえ、薬局が本業で俳優はバイト」と即答。今も堀内さんは、高齢者や体の不自由な人のために自ら車を運転し、薬を自宅まで届けているという。それでも監督や演出家、プロデューサーたちからの俳優の仕事の依頼はずっと絶えない。「今、京都の撮影所で撮影しているから出演してくれないか?神戸だから近いでしょう…なんて呼ばれたら行くしかありませんよね」キャリアは豊富。どんな難役もこなすから巨匠監督たちも絶大な信頼を寄せる。「時代劇では狂気の殿や悪代官。現代劇では殺人犯26

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