とはいっても、大方の画家は考えます。時には考え過ぎて、悩んだり苦しんだりします。寒山拾得は一日中、いや生涯、バットを振ってきた人です。だから完全な自由です。死をも超克しています。自由と死は、一体のものかもしれません。死の認識があって、死を越えて自由になるのです。ですから僕の絵には、見えないように、わからないように、絵の中に死のメタファーを隠し描きしています。完全な自由を獲得するためには、死を見つ支配から解放され、肉体的になれました。それを僕は肉体脳と呼んでいます。つまり指先に脳を移動させるのです。頭空っぽになることによって、より自由になれます。寒山拾得という唐の風狂の僧は正に超越した自由人です。その寒山拾得にあやかるためには、脳の支配から、自由になるべきです。じっくり考えて描くことから、瞬間芸に変えて、投手が投げてくる球を無心にバットで打ちます。その瞬間は頭の中は空っぽです。絵もこれでいいのです。1年がかりで102点。東京国立博物館で『寒山百得』展と題して、9月12日からオープンしました。全作新作というのは初めての経験。その間、急性心筋梗塞で心臓のカテーテル手術で命拾い。それがかえって健康を取り戻すことになって、馬鹿みたいに描きまくりました。アーティストではなく、アスリートに変身して、「考えない」絵画に挑戦。考えるところから出発する絵画に対して、考えない絵画の実践です。考えないことによって頭脳の美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ神戸で始まって 神戸で終る 〈特別編〉Tadanori Yokoo展覧会『横尾忠則 寒山百得』展横尾忠則さんの最新シリーズ『寒山拾得』初公開の展覧会、『横尾忠則 寒山百得』展が、東京国立博物館表慶館にて始まりました。その奇行ぶりから「風狂」ととらえられ、古くから画題となった寒山と拾得。2人の僧が横尾さんの指先から生まれ、会場を遊びまわります。今月は本展覧会に際し、作家である横尾さんのお話に加え、展覧会を企画された東京国立博物館 研究員の松嶋雅人さんよりご寄稿いただきました。1818
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