KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年10月号
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画で撮る際、小説で描かれている山で撮影することにこだわることで知られた。「劔岳―」のときもそうだった。同作に出演した俳優、香川照之を取材した際、「撮影は四季ごとに行い何度も劔岳に登らされるので大変でした。登山中に意識がもうろうとしてくるんです」と話していたことが強く印象に残っている。文太郎は槍ヶ岳で遭難し亡くなった。「孤高の人」の撮影現場はこの槍ヶ岳なのだ。登山家にとって〝難所中の難所〟に、木村監督は俳優やスタッフを引き連れて登る。そんな型破りの壮絶な構想を密かに練っていた。いつか文太郎の生きざまを山岳映画で見てみたい…。この思いは「六甲全山縦走」に挑む者。文太郎を慕う者。山を愛する者…。すべての願いに違いない。=終わり。次回は作家、陳舜臣。(戸津井康之)だけでしたが、なにか心の中に残ったものがあったのです。小説の中で歩く加藤さんの姿は、そのときの彼の姿であり、小説の中でときどき使った、不可解な微笑も、五合五尺の避難小屋で彼が浮かべていた顔つきでした》褪せることなき山への思い新田の次男の数学者、藤原正彦氏を取材したとき。「父が山岳小説に取り組む前。実際にその登山家が登った山を自分の足で歩いていました…」と話していたと書いたが、「孤高の人」を発表した当時、新田はすでに50代半ばに達していた。文太郎がトレーニングのために「六甲全山縦走」を行っていたのは、彼が登山家として全盛期に向かう20代の頃である。いくら、健脚の登山家だったとはいえ、五十代半ばでの「六甲全山縦走」は新田にとって、肉体的にも、いかに過酷なルートであったかが想像できる。2009年、新田の小説「劔岳 点の記」が映画化された。日本映画界を代表するベテランカメラマンの木村大作が監督を務めた。実際に現地で撮影を敢行した「八甲田山」(1977年)など過酷な山岳地での撮影を得意とする登山家の顔も持つ重鎮だ。木村監督を取材したとき、尋ねてみた。「次は何が撮りたいですか?」と。木村監督はにやりと笑みを浮かべながら、こう即答した。「新田次郎原作の『孤高の人』です。ずっと、いつか撮りたいと思ってきた大好きな作品なんですよ」と。だが、こう答えた後、すぐに遠くを眺めるような目つきになり、こう続けた。「でもね。撮影が大変だから、なかなか映画化には踏み切れないんですよ」と。木村監督は山岳作品を映143

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