KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年10月号
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故郷の文学碑不世出の登山家、加藤文太郎をモデルに、作家、新田次郎が執筆した小説「孤高の人」(新潮文庫)が初めて単行本として刊行されたのは1969年。文太郎が1936年に槍ヶ岳で遭難し、30歳で亡くなってから、33年が経っていた。〝無類の山好き〟という共通点を持つ文太郎と新田ではあるが、2人は生前、どんな関係を築いていたのだろうか?この「孤高の人」が刊行されてから21年後の1990年、文太郎の生まれ故郷、兵庫県の浜坂町(現新温泉町)に「新田次郎文学碑」が建てられた。建立した中心メンバーは「加藤文太郎を語る会」の有志たち。新田はこの十年前の1980年に亡くなっており、序幕式には新田の妻で作家の藤原ていが招かれている。実は文太郎と新田は一度だけ富士山で出会っている。当時、中央気象台に勤務していた新田が、富士山の観測所に交代勤務で向かう途中、同じく登山中だった文太郎と偶然、遭遇したのだ。新田はこのときの様子を『一度だけ会った人』という題名で、こう書き記している。《私たちは五合五尺に泊って、二日がかりで登ったのでしたが、彼は一日で登りました。突風が吹きまくる富士山の氷壁をまるで平地でも歩くような速さで彼は歩いて行きました。私たちは天狗のような奴だなと云いながら見送ったものでした》そして、新田はこう続ける。《…もし、このとき彼と会っていなかったら、おそらく筆は取らなかったのではないかと思います》と。過去に数多くの登山家と出会ってきた新田だったが、文太郎から放たれる圧倒的なそのただならぬ山岳家としての資質、他の登山家とは明らかに違う山に挑む気迫、内に秘めた覚悟―をこの一度切りの出会いのなか、肌で感じ取ったのではなかったか。そのとき抱いた心情をこう表現している。《…ちょっと顔を合わせた神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊷後編加藤文太郎活字に刻まれたクライマーの情熱…山への憧憬は永遠に142

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