KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年10月号
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INDIAN SCOUT 1920映 画:『世界最速のインディアン』 2005年 ニュージーランド・アメリカ登場車両:インディアン・スカウト1920年andcarsMovie 文・株式会社マースト 代表取締役社長 湊 善行至る所がバートの手によりカスタマイズされたバイク提供/ⒸE Hayes Motorworks Collection™, Invercargill,New Zealand.※無断転載を禁じる 1962年、ニュージーランドの南端の田舎町インバーカーギルに暮らすバート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)には大きな夢があった。バイカーの聖地アメリカ、ユタ州ボンネビル塩平原(塩湖にできた260平方キロの塩の平原)に渡り、40年以上の年月をかけて改造を繰り返して作りあげたオートバイ「1920年型インディアン・スカウト」で世界最速記録(ボンネビルスピードウェイで毎年8月に開催されるスピードウィーク)に挑むことだった。そんなある日、狭心症による心臓発作で倒れたバートは62歳、今がボンネビルへの挑戦の最後のチャンスと考え、家を担保にいれて資金を調達、渡米の決断をする。周囲からは無謀だと囁かれるが人生をかけた大勝負に挑む。インディアン・スカウトを船に積み込み、ニュージーランドからアメリカ・ユタ州にあるボンネビル塩平原に向けて旅がはじまる。道中、様々なトラブルが発生するが、バートの朗らかさと関係する人々の優しさに支えられ目的地のボンネビルに到着する。レース場では参加手続き、車両検査、なども周囲の協力を得て何とかクリア。レース主催者側はどうせオンボロバイクで大したスピードは出ないと判断して試走を許可する。だが、試走で会場全員が驚くスピードで疾走する古いインディアン、余力を残した状態で本選に出る権利を得る。レース本番、高速時に車体が大きく振れるトラブルは起こった時点で対策を考えるしかない。会場の注目が集まる中、順調なスタートを切ったバート。第1ラインを255Kmで通過、ぐんぐんとスピードを上げ第6ラインは311Kmで通過、エンジンが過熱してバートの足を焦がし始めたがアクセルは緩めず最終ラインを通過した速度は324km、区間平均時速288kmの世界記録を樹立。会場は拍手喝采。バートが世界最速記録を打ち立てたニュースはたちまち世界中に広がった。それから数週間後、バイクと共に田舎町インバーカーギルに凱旋したバートは町中の人々に来年もまた行くと宣言して皆を驚かせた。実際にバートの挑戦は毎年続き、1967年には、 (950cc)にボアアップしたエンジンで、階級(1000cc S-AFクラス)記録の時速295.44km を樹立、この記録は今も破られていない。実在したバート・マンローの物語の映画化。「難しいなら、より懸命に取り組む。不可能なら、さらに懸命に取り組む。どんなことでも試し、それでもそれをやり遂げるのだ」「夢は幾つになっても叶うもの。夢を追わない人は野菜と同じだ。リスクを恐れては何も出来ない。危険は人生のスパイスだ。ボンネビル・チャレンジの5分間は何十年もの長い人生より充実している」バート・マンロー。10
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