KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年9月号
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た当時は、フルタイムのコーチがいなかったので、練習プログラムを考えて、ほとんどラグビー経験がない部員たちに練習の意図を説明するところから始めました。言葉で伝えるためにはまず自分がちゃんと理解する。この経験でラグビーへの理解が深まり、マネジメントの勉強もできたと思っています。―そんなお二人がそろって国体に出場したのですね。渡辺 県選抜はほとんどが報徳の選手の中、甲南から2人だけ選ばれました。「こんなにレベルの高いチームでプレーができるかな?」とすごく不安だった僕に隼杜が「龍!行くぞ」と声を掛けてくれました。この一言で「チームに入れた」と思え、リラックスして大舞台に臨めました。心遣いが忘れられないエピソードですが…。福西 言ったかなあ?全然覚えていない︵笑︶。―ラグビーを始めるきっかけは?渡辺 父と親交があった平尾誠二さんです。中1になってすぐのころ、ゴルフ帰りの食事の場でお会いする機会があり「ラグビー部に入ろうか迷っています」と話しました。すると、「ちょっと練習しようか」と言ってくださって、そのうち山中伸弥先生も加わって、パスの基本を教えていただきました。僕は「ラグビーをやりたい!」と強く思い、その後、つらいとき、迷ったときには平尾さんがいつも言っておられた「龍、失敗してもいいからチャレンジやで」という言葉が背中を押してくれました。福西 僕は報徳でラグビーをやっていた父の影響で子どものころからスクールに通い、小中学生のころ花園ラグビーで松島幸太朗選手を見て「すごいなあ」と思って憧れていました。平尾さんは僕にとっては雲の上の存在です。龍や先輩方の話を聞き、ラグビー選手としてはもちろん、人間として素晴らしい方だったんだと思います。―京産大を選ばれた理由は?福西 練習は厳しくても強くなりたい!という気持ちがあり、元木︵由記雄︶さんからアドバイスを頂きながら決めました。もう一つ、関西で関東のチームを倒したいという気持ちもありました。渡辺 チャレンジしたいという気持ち。そして京産大はスクラ寺田倉庫渡辺 龍さん渡辺さん(右から2人目)、福西さん(その左)は高校時代からの好敵手。神戸で過ごした高校時代は、共に報徳、甲南で主将として戦った93

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