KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年9月号
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大工と鍛冶は互いに支え合う存在と言われます。大工はより良い切れ味を求め、鍛冶もそれに応えるべく改良を重ねました。そのような交流を重ねる中で、江戸の終わり頃から名工と呼ばれる鍛冶たちが登場しました。なかでも千ちよづる代鶴是これひで秀(一八七四―一九五七)は大工道具を芸術の域まで昇華させた不世出の名工と評されています。その是秀と大工との逸話を紹介しましょう。大正八年(一九一九)の頃。江戸弁を使う大工「江戸熊」こと加藤熊次郎は持ち前の一徹の気性から親方とも合わず、大阪に流れて風来職人をしていました。当時すでに名声を得ていた是秀の道具は「使わずに神棚に祀るほど」との評判を知った江戸熊は、己の腕のためにその道具を熱望。しかし道具店で注文してみたものの叡智の彼方へ第十二回名工・千代鶴是秀が鍛えた道具常設展B2Fの名工の輝きコーナー竹中大工道具館江戸熊の鑿16

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