でもたった三年間でうんざりしましたがね笑笑大教大池田と言えば、あの、宅間守による児童殺傷事件のあったところです。襲撃されたのは小学部ですが、高等部・中等部と同じ敷地内にあります。宅間がここを選んだ理由は、エリートの子女が通っていたからだそうですが、それはその通りで、僕が通っていたときは、中等部から進学してきた内部進学組は、社長令嬢とか医者の息子とかそういういかにも「ええとこの子」が多かったのです。一方、男女各三〇人だけの高校からの外部進学組は、「授業料ほぼ無料」に釣られたハングリーな生徒が集まっていました。そのため、成績では外部進学組のほうが上でした。同高校は、制服も校則もないことが象徴しているように、生徒の自主性に任せた自由な校風が「売り」で、学業でも授業に頼らず自分で勉強するのが当然でした。この自由・自主の校風が、実に京都大学に似ていて、同大学への進学が多いのも当然と言えました。その中でも、特に優秀な生徒は、同大学の理学部へと進学することになっていました。僕が京都大学理学部に進学したのも、そういう自然な流れに乗っただけだったのです。京都大学理学部には、物理学、化学、生物学、地球物理学、地質学、数学の各専攻があり、最初は理学部としてまとめて入学しますが、三~四年生のときにそれぞれの専攻で実験・実習を行い、最終的には大学院への入学試験で各専攻の各研究室に振り分けられます。物理学はさらに素粒子物理学・宇宙物理学専攻と、物性物理学専攻とに分かれていました。その中でも、湯川秀樹先生以来の伝統として同学部が最大の「看板」としているのが、素粒子物理学です。また次回以降で詳細にお話ししますが、素粒子物理学は、世界の究極の姿を対象とする学問です。これらの理由から、当時は京都大学の素粒子物理学専攻は最高のエリートコースとされていて、志望者もとても多かったのです。大学院で競争率が数倍になるのは国内で他に存在しませんでした。僕が素粒子物理学を志したその理由は、実は、その分野に興味があったからではなく、「最高のエリートコースだから」という、実にけしからん理由だったのです。世の学者先生たちと違い、僕の志があまりに低くてお恥ずかしい限りです。しかし、逆に僕が言いたいのは、こんな僕でもそれなりにやって行けているように、人間には大きな可能性があり、やろうと思えばいろんなことが出来るのであって、「自分にはこの道しかない」と思い込まないほうがよい、ということなのです。PROFILE多田 将 (ただ しょう)1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。63
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