KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年8月号
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を試写すると、あのカット、このカット、自信をもって堂々と繋ぎたいカットはほとんどなく、役者の演技が現場の時と違ってどれもこれもつまらなく見えた。つまらない画面を切って捨てたら繋ぐものがなくなってしまうぞ、どうすりゃいいんだ。ボクは二、三日、編集場に行く気がしなかった。やれやれ、とにかく繋ごう。切って繋いでテンポをつけよう。ボクはNGカットから台詞の一言や芝居の一部でも拾い出して繋いでくれと先輩編集者に命じた。「でも、この男の右目線の切り返しで相手の女も右目線じゃ繋がらんよ。客が混乱する」と制されたが、「NGの右目線でいいです。その表情の方がリアルやし、客は判る!」と意地を張った。「小津安二郎の真似は無理だよ」と皮肉を返された。真似なんかしてもいないのに。渋谷で『セント・エルモス・ファイアー』(86年)という青春モノが封切られていた。ハリウッドの新進俳優らが揃った、〝大学は出たけれど〟がテーマの群像劇。ついでに目線の繋ぎ方も確かめたかったが、観ているうちにそんなことはどうでもよくなり、彼ら彼女らそれぞれの思いに引っぱり込まれた。それぞれの思いの行き違いが面白かった。『天国の門』(81年)で莫大な製作費を使い、興行で大赤字を出して映画会社を倒産させ、何年も干されていた鬼才マイケル・チミノらしい新作、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(86年)も観た。ニューヨークのチャイナタウンで繰り広げられる刑事とチャイナマフィアの戦いは新鮮だけど、以前の大作の圧倒感はなかった。ボクもすでに製作費をオーバーさせていたので、春の興行で惨敗したらボクも干されてしまうかなと思った。編集に七転八倒しながらも、映画だけはよく観た。画面のフェードアウトの仕方や音楽の入り方で見習えるところはないかと思ったからだ。いつの間にか映画をそんな風に観る癖がついていて嫌だった。『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』(86年)という、主演の名前も知らないイギリス映画の試写会にも行った。テキサスの石油会社からスコットランドの石油基地建設のために、その海辺の村一帯の用地買収交渉役で派遣された青年社員が、現地のお金大好き主義の村人たちと付き合ううちに自分の人生も見つめ直すことになる、風刺の効いた話だった。実はこれは『犬死にせしもの』と4月の同時公開で、ボクとしては敵情視察のつもりだったが、我が海賊モノとは異なり面白かった。我が方は題名の通り犬死にして、興行成績もひどいものだった。今も残念でならない。今月の映画『セント・エルモス・ファイアー』(1986年)『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1986年)『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』(1986年)49

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