KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年8月号
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神戸への憧憬将来はパイロットになろうと、大空に憧れた飛行機好きの少年、稲垣足穂は大阪市で生まれ、兵庫県で育った。なかでも神戸で過ごした青春時代が、後に作家となる足穂の人生に多大な影響を与えた。足穂の自伝「タルホ神戸年代記」(第三文明社)の中のタイトル「神戸漫談」に、彼の〝神戸愛〟を証明するような、こんな一文が綴られている。《伊藤貴麿氏であったか、神戸は人が考えているように面白いところではないと云ったが、そんなことを云い出したら、アムステルダムだって香港だって、その他のどこだって、いやしくも現実という名のついたところでは同じことだ。イナガキタルホのかくような神戸はないかもしれない》いかに足穂が自分が育った神戸という街にこだわり、愛着を抱いていたかが滲み出るような文章が、さらにこう続く。《だが、それは神戸に於て遊離されたるもの――神戸の幻想だ。これをのぞいて芸術家の職分はどこにあるというのだろう?――よし又現実的に見たって、神戸ほどハイカラな街は日本中にはない。伊藤氏も神戸出身だというわりには、神戸の面白い方面を知らないと見える》神戸が貶められることを、自分が否定されたかのように哀しみ、また、故郷を侮辱されたかのように怒りを表す。伊藤自身も神戸生まれの児童文学作家で、「西遊記」などの日本語訳を担当した名翻訳家だ。足穂より7歳年上で、作家ならではの〝天邪鬼な気質〟で、あえて故郷の神戸を突き放してみたかったのかもしれない。だが、足穂はたとえ先輩であろうと、自分がおかしいと感じたものには徹底して逆らい、嫌われても〝モノ言う気質〟だった。文学で叶えた大空への思い足穂は、航空学校の受験、そして複葉機の製作にも失敗し、航空界への道を絶たれた後、単身上京。今からちょうど一世紀前。1923年、「一千一秒物神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊵後編稲垣足穂〝ハイカラな街〟神戸を愛し続け…文豪たちが認めた孤高の作家130

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