KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年8月号
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これにはわけがある。妻は兵庫県北部、但馬の出石が故郷である。「漕がしなる」は方言なのだ。例えば但馬では、大阪弁でいうところの「嘘つかはる」は「嘘つきなる」、「流さはる」は「流しなる」、「探さはる」は「探しなる」となる。だから「櫓ろがしなる」を聞き間違えて、船を漕ぐという意味で「こがしなる」と覚えたのだ。この話を聞いた時は、妻には申し訳ないが大笑いをしてしまった。方言で間違うなんてと。しかし「こがしなる」という言葉はおかしい。これを大阪弁で「こがさはる」とは言わない。文法上間違っている。当時は子どもだったので不思議に思わなかったのだろう。ところでこの「船頭さん」については、以前本誌に書いたことがある。2003年4月号。連載エッセイ「コーヒーカップの耳」の中でこんな風に。《コーヒーを淹れながら、なんの脈絡もなく口をついて出た童謡がある。「村の渡しの船頭さんは今年六十の…」そのあとである。「おじいさん」と続くのだ。えっ!と思ってしまった。実はわたし、今年誕生日が来れば満60歳である。しかしまだ孫はいない。さらに、「年はとってもお船をこぐ時は元気いっぱいろがしなる」。ちょっとショックだった。この歌では60歳はすでにかなりのご老体である。船をこぐ時だけ元気になるのだ。わたしにその自覚はまったくなかった》。これを書いたのは丁度20年前。ということは、もうすぐやってくるわたしの誕生日には80歳である。時は流れて孫は五人いる。立派なオジイサンだ。やがてヒイジイサンになる日も近いだろう。(実寸タテ10.5㎝ × ヨコ15㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。107

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